神様 義母を有難うございましたⅨ
〜「お帰りをお待ちしていますからね。」〜
作:牧師夫人 佐多多視子
○声掛け篇
母が歩くことが覚束無くなったので、移動する時、主人が脇を、私が足を持ち上げると、変な顔をしたので、どうして母はあんな顔をしたのかなぁと考えました。すると、介護士さんや看護師さんが「佐多さん、体温測りますね。」とか「佐多さん右足から履きましょうね」とか声掛けをするのを思い出し、真似をするようにしました。
私が母と10年暮らしていてとても悔やまれることがあります。今年ショートスティ中に肺炎になり、入院いたしました。退院してきてから部屋の貼物を見ながら、家に帰ってきたんだなぁと母が喜んでいたのですが、再びショートスティを組んでいただいて家から送り出すことになりました。
その時に、「お母さんが邪魔だからではないんですからね。お隣が病院だったら家にずっといていただくんですけど、お医者さんに時々診ていただかないとですね。だってこの前だってショートスティに行ってる時、食べ物が気管に入って肺炎になってお医者さんに助けていただいたでしょ。だから時々ショートスティに行っていただくんです。お帰りをお待ちしていますからね。」と声掛けしなかったことです。余計な言葉は沢山吐くのに、必要な言葉はなかなか言わないんだと反省しきりです。
この10年を振り返ってみますと、主人から感謝の言葉、ねぎらいの言葉がなければ遣り続けることはできませんでした。初期の頃はそういうものも全くなく、私が頼んでそうしてもらいました。主人も随分気が付く人、優しい人となりました。子供たちからもスカイプで「まだ顔がむくんでいるね。疲れがまだとれていないね。気をつけてね」「お母さん体大丈夫?」と声掛けをしてもらえるようになり、今までよりぐーんと優しくなりました。
また主人が20種類近くの料理も覚えてくれたりしていて、これからは二人で支え合っていこうという姿勢が見えています。
主人の父の最後の看病も、母の介護も私たち家族が逃げないで捨てないで何とかやってこれたのは、教会員の方々の支え、リバイバル祈祷会の先生方の毎日のお祈り、施設の方々の献身等々があっての事でした。葬儀場の都合等もあり叶いませんでしたが、母はこの人たちにこそ告別式に参列して欲しかっただろうと思いました。
現在、長男、次男は結婚し、それぞれ3人と2人の親となり私たちは5人のお祖父ちゃん、お祖母ちゃんになりました。3男も無事大学院を卒業し、4月に就職して一人前になりました。
私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。ヨブ42:5
余談;
ある病院関係者から親を施設に入れっぱなしで、一度も会いに来ない子供がいるという話を聞いたことがありました。「預かる時に、どのぐらいの頻度で逢いに来ていただけますか?お手紙を下さいますか?写真を送ってくださいますか?と尋ねたら良いのにね。ああいう方々って生き甲斐ってないんですもん。」と答えたことがありました。
またある方から「偏差値がなんだとか、どこの学校に合格したとか、就職したとか、どういう役職に就いたとか何にもならなかった。佐多律子さんは幸せですね」と言われたことがあります。(私から見るとこの方こそ幸せな方だと思ってきました。)
これらのことを聞くにつけ思う事があります。誰が痛い思いをして産み、夜中に何度も起きておしめを替え、乳を与え、熱が出ると心配で一睡も出来ずに看病し、離乳食を作って与え、体に合わせて着る物を与え、一緒に喜んだり悲しんだりしてくれて、毎日食事を考え作り、一人前になるまでお金を出し続けて育ててくれたのだろう。生まれた時から独り立ちし、就職して稼いで生きて来れたわけではないでしょう。愛情を注ぎ、お金をかけて育ててもらったのに、利用するだけ利用して、親が弱って助けて欲しい時に見向きもしないなんて…と考えさせられます。
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