愛の実践

公開済み 1月 19, 2016 by 管理人 in アドナイ・エレ

~成人式を見て,批判し裁くのは簡単だけど…~

私は永年、某小学校の半成人式でお話をさせて戴いておりました。半成人式とは10歳になる子供たち(小4)が、成人の日の前後に10年間の感謝と将来の夢を発表するというものです。

子供たちが保護者や先生、また来賓の方々の前に一人一人立って、過ごした10年間でお世話になったご両親をはじめ、ご家族や先生方へ感謝の意を述べ、それから将来の夢について語ります。

子供たちにとっては、10年を機に感謝と夢を語ることによって、新たな自覚が生まれ、彼らの人生の節目になり、次の10年の飛躍につながるものと思います。

しかし一方、毎年テレビで成人式のお粗末さが放映されています。もちろんごく一部の参加者の横暴な振る舞いだと思いますが、その中には警察に逮捕される人まで出る始末です。

 

さて先日、北九州の成人式で、ド派手な衣装を着けた若者たちの群れが映っていました。ある女性は頭に沢山の裸のバービー人形を載せており、またある人は5・6個の空き缶を髪の毛で巻いて載せていたりして、奇抜さを競っているようでした。そして、彼らは「一生に一度の成人式、楽しまなければ、…。」と話していました。

例年ならば、果たして何のための成人式だろう。彼らは成人式の意味をはき違えてるのではないだろうかと、半分彼らの行為をさげすみながら見ている自分がいただろうと思います。

しかし、実は今年、少し違う目で彼らを見られました。というのは、ちょうど同じ日にキリスト教の集会があり、講師の先生が次のようなお話をされたからです。

彼が青年の時の話、毎日夜10時ごろ仕事を終えて帰路に就くと、渋谷の通りで若者たちが座り込んでシンナーを吸っており、彼はそれを見ながら「良い若い者が、仕事もしないでこんな所にたむろして、なんてことをしてるんだろう。」と軽蔑の目を向けて、通り過ぎていました。

しかし、あるとき彼は祈りの中で自分の高慢さを示されました。人は所詮皆罪びと、自分だって正しい者ではなく罪びとである。だから、罪びとの友となるように示されました。

それから彼は会社の帰りに、彼らと同じように道路にしゃがみ込むようにしました。彼らに忠告するでもなく、彼らの態度を叱責するでもなく、ただ黙って彼らと同じようにしゃがんでいました。

すると、彼らの方から話しかけてくるようになり、徐々に親しくなり、やがて彼らが大挙して教会に来るようになって、そこからたくさんの若者が更生して立ち返っていったという話をされました。

 

それを聞いて、批判し裁くのは簡単だけど、それでは何も解決しない。具体的に彼らに接して、彼らに忠告したり、叱責したりするのではなく、彼らの問題を共に負い、彼らと更生の働きを共にすることが求められていることを教えられました。

私は北九州の彼らに何もすることはできませんが、軽蔑したりさげすんだりしないで、彼らの更生のために祈っていこうと思いました。また、近くにこのようなことがあるなら、ともに重荷を負うための働きができるようになりたいと思います。

イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」マルコ2:17 

そのような方々は私たちを憎む者でも呪う者でも敵でもありません。イエス様はすべての人を愛しておられ、汝の敵を愛しなさいとまで言われます。

しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。ルカ6:27~28 

No Response to “愛の実践”

Leave a Comment