イエス様がよみがえられた
〜見ないで信じる者は幸いです。〜
最初の人、アダムとエバが神に反逆し罪を犯して以来、その子孫として生まれたすべての人間が罪の中に生き、罪の中を歩くようになりました。私たちの罪の基準は神の基準に比べれば、非常に甘く、みんなやってるから良い程度になってしまいました。
しかし、私たちが天国に行くためには、これらの罪がすべて清算されなければなりません。そのためにまったく罪のない救い主なるキリストが人となって生まれてきてくださって、私たちの罪の身代わりとなって、すべての罪を清算してくださいました。
イエス・キリストは神様です。ですから神として永遠の命を持っています。たとえ十字架で死なれても、死んだままでいることはありません。必ずよみがえられるのです。
その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。マタイ16:21
イエス様はこれ以降ご自分が殺され3日目によみがえることを弟子たちに何度も話されましたが、弟子たちはそれが何のことかわかっていなかったようです。私たちも自分の経験、理性、学びを超えた出来事はなかなか受け入れられないものです。
マグダラのマリヤたちがイエス様の死後3日目に墓に行ったとき、み使いが現れて、イエス様のよみがえりについて、次のように言われました。
「人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」女たちはイエスのみことばを思い出した。そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。彼女たちといっしょにいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。ルカ24:7~11
しかし、やがてイエス様は使徒・弟子たちの前に現れるのです。それでようやく弟子たちはイエス様がよみがえられたことを信じました。しかし、イエス様が弟子たちに現れたとき、弟子のトマスだけがたまたまはそこにいませんでした。
十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。ヨハネ20:24~25
そののち、イエス様がトマスにも表れます。そして、「信じない者にならないで信じる者になりなさい。あなたは私を見たから信じたのですか。見ないで信じる者は幸いです。」と言われました。
私たちが死ぬと鉄壁のガードで閉ざされた永遠の死から抜け出ることができません。私たちの内誰もその壁を打ち破ることはできないのです。しかし、神のみ子イエス様はその死の壁を打ち破ってよみがえられました。
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」ヨハネ11:25
そして、救い主なるイエス様を信じて救いを求める人々の道となってその永遠の滅びから引き揚げてくださるのです。しかし、信じないで救い主を受け入れない人々にはその救いの機会は閉ざされてしまいます。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」ヨハネ14:6
これを信じる、信じないはあなたの自由です。ただ、天国と地獄がかかっていますので慎重に調べて決断してください。
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