熊本地震災害支援
〜すぐには片づける気力さえ〜
熊本への支援物資を届けるため、牧師になる前13年間勤めさせていただいた山形屋商事(衣料品・食品卸)に買い出しに行きました。退職してから約30年経つのと、衣料品畑を歩いたので、食品部に知った人がいるかどうか少し心配でしたが、課長席に当時まだ新人だった後輩が座っているのを見て隔世の感がありました。彼に20ℓ入りの水やペットボトルのお茶、インスタントラーメン等を見繕ってもらって、車に積み込んでいただきました。
輸送当日、6時40分ごろ家を出てナザレン教会に向かいました。7時半到着すると、すでに南さつま市のU牧師ご夫妻や鹿児島市内のS先生、それに教会員7人が集まっておられました。ここに集められた荷物はすでに昨日夜2トントラックで熊本へ持って走られたということでした。
それで、私の車とU牧師ご夫妻の車にはそれぞれが買い揃えた支援物資が積まれ、ナザレンのK牧師の車には2人の若者のボランティアが乗り込んで、3台で降りしきる雨の中を熊本に向けて出発しました。
八代までは高速を使って走ることができましたが、それから後は高速を降りて国道3号を、北上しました。それから後は、かなり渋滞してノロノロ運転を強いられました。
宇城市に入ると、屋根の上の接合部分だけ青いシートで覆っている家が散見されました。さらに進んで宇土市に入ると、こんどは屋根全体をブルーシートで覆った家が見られ、古い家で倒壊している所もありました。ここでは市役所が倒壊の恐れありで中には入れない状態とテレビで放映されていたのですが、通りから見える限り街並みの風景はそれほどひどい状況には見えませんでした。
熊本市に入っても、時々ビルの大きな窓ガラスが割れて壊れているのを見ましたが、全体的な街並みにそれほど変わった様子は見られませんでした。ただ、路地に入ると瓦の落ちた家や壁の一部剥がれた家々が見られました。
しかし、ところどころに設置されたごみ置き場を見ると明らかに普段と違う、タンスや本棚、マットレスや濡れた布団等がうずたかく積まれていて、外見とは違う家の内で起きている崩壊の様子を垣間見ることができました。
やがて、熊本の災害支援拠点になっている教会に着きました。30台ほど止められる駐車場は車でいっぱいで、脇道に車を止めて待っていました。すると、盛んに荷物を積み込んでいた2トントラックが避難施設に向けて出発していったので、その空いたスペースに私たちの車を止めると皆が集まってきて、積み込んでいた物資がバケツリレーで瞬く間にそれぞれの置き場に仕分けされて運ばれていきました。
災害支援拠点教会のN牧師の話によると、最初の震度7の前震があってすぐ、熊本の教役者が集まって、倒壊した益城町の教会やその街の被災者にどのような支援ができるか話し合いが成されたそうです。しかし、その直後震度7の本震に襲われ、自分たちも被災者になってしまいました。
N牧師宅のブロック塀が崩れ、前震で散らばった家財道具の片付けが終わった途端の本震では、前よりひどい崩れ方に、すぐには片づける気力さえ失われたということです。そして、昨日は6日ぶりに汚れた少しの水で入浴ができたと言って喜んでおられました。しかし、先生の顔には疲労の色がありありとみられました。
先生によると、徐々に物流も回復し、物資はこちらでも買えるようになってきたので、今後は募金とボランティアの派遣を宜しくお願いしますとのことでした。(4/21(木) 段階)
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。ヨハネ13:34~35
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