屋久島旅行記-1
~熟年修学旅行~
私たちは鹿児島7、熊本1の8つの教会で、月1回それぞれの教会を順番に会場にして、リバイバル祈祷会なるものを行っております。祈祷会は賛美とメッセージ、それにそれぞれの教会の課題から、日本のリバイバルに至るまで、幅広い祈祷課題を約1,5~2時間かけて祈り、その後食事をしながら楽しい交わりの時を持ちます。
今年に入ってからリバイバル祈祷会の交わりの中で、皆で一緒に慰安・研修旅行をしてはどうかとの提案がなされ、8月のリバイバル祈祷会のときに多数決で屋久島行きが決定されました。
時期は来年の4月頃が気候がよく良いのではということになりましたが、熊本地震で九州観光が停滞しているので、九州圏内で今年中だったら旅費補助が出るということで、気候とは関係なく、急遽11月末から12月初めにかけての旅行オフシーズンに出かけることに決定しました。
旅行当日、待ち合わせ時間の10分ほど前に屋久島行き高速船乗り場に着くと、もうすでに他のメンバーは全て来て揃っていました。集会の時は計ったようにギリギリに来られる先生方が、今回は出発1時間前の集合であるにも関わらず、すでに集まって来ておられる姿を見ると、如何に皆がこの旅を楽しみにしておられたかが伝わってきます。
待合室では、「船酔いが心配」などと言っておられた先生方が、いざ高速船が出発すると、陸を見ながら「あっ、谷山あたりが見える。海から見る景色はまた違うね。先生の教会は見えない?」なんて言いながら、見えるわけはないのに、はしゃいでいます。
その後も、喜入基地だ、指宿だ、開聞岳も見えると、まるで中学生の修学旅行のように興奮を隠せない様子で、語り続けています。幸い高速船は他の船と違って、海上ではなく、海水面から上昇して走るので、一般の船のように揺れることはなく、バスのように陸地を走っているような感覚で進んで行きます。
錦江湾を出て、1時間程すると洋上にそびえる雄大な屋久島の山々が迫ってきました。実は屋久島は私が中学まで過ごした、懐かしい思い出がいっぱい詰まった故郷です。そして、高速船が接岸した立派な宮之浦港は、私が中学時代泳いで遊んでいた海岸でした。松林はかろうじてありましたが、砂浜は船着き場に変わっていて、少し寂しい気持ちになりました。
宿泊地のペンションに向かう途中懐かしい町中を通りましたが、町の様子はすっかり変わってしまい、変わってないのは地形だけだなと思いながら見ていました。仕様がありません、私が住んでいたのは50年以上も前のことで、私自身が浦島太郎のような存在なのですから。
大きな宮之浦川を渡ると、すぐ右側の昔と同じ場所に懐かしい小学校が見えてきました。校舎の位置や建物はすっかり変わっていましたが、すぐ隣に中学校が寄り添うようにあるのも昔のままでした。
ペンションは高校の近くの狭い路地を入った所にありました。そこに荷物をおろして、地元宮之浦教会の日高牧師の案内で、ウミガメ産卵地で有名な永田のいなか浜に行きました。
先生方は海の景色の美しさと、砂浜の砂(ザラメのような大粒のキラキラ輝く綺麗な砂)に感嘆して、しばらく砂を触ったり、集めたりしてそこから離れられない様子でした。
一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。伝道1:4~5
実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。伝道5:19~20
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