お年玉の思い出
~今は亡き母に、ごめん~
今から60年ほど前、私が小学生の頃はお小遣いやおやつなどはありませんでした。其れでも学校が終わると裏山に隠れ家を作ったり、チャンバラごっこをやったりと結構毎日、楽しく遊んでいました。
お小遣いがないので、お金を持つことはまずなかったのですが、ただ御正月にお年玉を貰うことはできました。いわばそれが1年間のお小遣いという意味あいをもっていたと思います。
私が小学校4,5年生ころのことです。お年玉を確か800円ほど戴きました。うれしくてそれをもって町に出かけました。町の店は御正月休みでほとんど閉まっていましたが、1軒おもちゃ屋だけは開いていて、子供たちが集まって来ていました。
私が店の中に入ると、珍しいおもちゃがたくさん並んでいて、子供たちがみな品定めをしていました。私も陳列されたおもちゃ群を見ていると、一つのおもちゃに目が留まりました。
それは長さ約3、40センチ、横幅が約10センチのプラスチック製で、モーターで走るかっこ良いボートでした。見るとそれには800円の値段が付いていました。お年玉で買えないことはありません。しかし、それを買うとお年玉全額はたいてしまい後残りがなくなってしまいます。
しかし、ここで躊躇していると他のだれかに買われてしまうかもしれません。そこで意を決して、「あの~、これください。」というと、「はい800円です。」と、こちらの興奮に反して、事務的な返事が返ってきました。
それを持って喜んで家に帰りました。母がそれを見て「いくらで買ってきたのか、どうしてそれを買ったのか、いつ頃から欲しかったのか」といろいろ質問してきました。それに答えていると、お年玉を一遍に使ってしまったことに対してこんこんと叱られてしまいました。
一方、兄と弟は私と違って、お年玉で貰ったお金を大切に少しずつ使っていたので、母に怒られることはありませんでした。
私はそのボートを宝物のように扱いました。モーターで走るおもちゃのボートなんてそうそうなかった時代なので、川に浮かべて走らせてその雄姿を眺めて幸せを満喫していました。
しかし、ずいぶん経ってから母が私にお年玉の件で謝ってきました。母は3人の子供たちがお年玉をどのように使うかをじっと観察していたようで、兄と弟は少しずつ使っていましたが、やがて全部なくなりました。
3人ともお年玉すべて無くなった後、形として残っていたのは私のボートだけだったから、母は私を叱ったことを少し後悔しているようでした。しかし、私はわかっていました。あれはあくまでも衝動買いで、決して褒められるものではなかったことと、兄と弟の使い方の方が賢明だったということを。
その時はただ母の謝ることを黙って聞いていましたが、やはり自分の使い方に問題があったとちゃんと謝るべきだったなぁと反省しています。
潔白な生活をする者は救われ、曲がった生活をする者は墓穴に陥る。自分の畑を耕す者は食料に飽き足り、むなしいものを追い求める者は貧しさに飽きる。箴言28:18~19
自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。箴言25:28
No Response to “お年玉の思い出”