敬老感謝
~今年60のおじいさん~
9月18日は敬老の日です。高齢者を敬い、永年のご苦労に感謝を表す日です。さて、それでは何歳からが敬老の日の対象者になるのでしょうか?
一応、日本では65歳になると高齢者と呼ばれるようになります。私は今68歳ですが、自分が高齢者だとの意識はあまりありません。まだ、現役でバリバリ?働いていて、まだまだ若いつもりでおります。また、私たちの地方には、70代80代のお元気な方々がウジャウジャ(失礼)おられますので、私などはここではまだまだ鼻たれ小僧と言われても仕方がありません。
すなわち、若者が多い都会では65歳で老人と言われるのでしょうが、地方の田舎ではそうではありません。つまり、高齢者の基準は地域や時代によって違ってくるということでしょう。
私の小さいころ、「船頭さん」という歌がありました。先日の敬老感謝礼拝で、「皆さんこの歌をご存知ですか?」と言って歌い始めたら、ご高齢の方々が懐かしそうに唱和してくれました。その歌の歌詞は、以下のようになっています。
「村の渡しの船頭さんは、今年60のおじいさん。年はとってもお舟を漕ぐときは、元気いっぱい櫓がしなる。それギッチラ、ギッチラ、ギッチラコ。」
60歳でおじいさん、そして年寄り?確かに、今でも田舎では60歳になると赤いちゃんちゃんこを着せられて、還暦のお祝いをしてもらいます。たぶん人生を一巡して新しい人生に入ることを意味しているのでしょう。
大正時代の平均寿命は52歳と言われますから、確かに還暦まで生きられたということは長生きで、お祝いに値することだったのでしょう。私の小さいころでも船頭さんの歌を何の違和感なく皆歌えていたように思います。その当時は女の人で50歳すぎたらは皆地味な服を着て、見た目からしておばあちゃんという感じでした。
そして、60~70歳にもなると、腰を直角に曲げて歩かれる人がたくさんおられたように記憶します。それが今では、80歳でも皆若い恰好をして、さっそうと歩いておられます。服装も心もとても若々しいです。
今、スーパー等で時々、高齢者枠の駐車スペースを取っているところがあります。私が駐車場に入り車を止めるところを探していると、妻が「あそこが開いてるよ」と教えてくれる時があります。しかし、私は「高齢者ではないから」と言って、そこには停めません。
しかし、近頃は食堂で65歳以上の高齢者割引というのを時々見かけるようになりました。その時は、やおら健康保険証を取り出して「わたし高齢者です。」と言って割引してもらいます。
さて、現在の高齢者の方々は時代の転機に生きてこられた方々だと思います。最も時代の変動が激しかった時代ではないかと思います。
私たちの小さいころは、各家庭に水道はなく、井戸まで水汲みに行っていました。私の母たちは食後の食器等の荒いものは、近くの井戸まで持って行って、そこでご近所の人々と話しながら洗っていました。
もちろん、洗濯機などはなく、川や井戸のそばでたらいで洗濯板を使って洗濯していました。また炊飯器などもありませんので、かまどに羽釜をかけて薪で火を焚いて作っていました。お風呂だって、薪で火を起こして沸かしていました。
そのような現高齢者のご苦労の上に、今の私たちの快適な生活があるのです。今の日本の繁栄は、これらの高齢者が汗水流して働いてきた産物なのです。高齢者の方々に心から感謝しましょう。
白髪は光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。箴言16:31
あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの年老いた母をさげすんではならない。真理を買え。それを売ってはならない。知恵と訓戒と悟りも。正しい者の父は大いに楽しみ、知恵のある子を生んだ者はその子を喜ぶ。あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。箴言23:22~25
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