ラジオで聞いてた大相撲
~クラスの大関~
今年も大相撲九州場所が始まりました。わたしは学生時代福岡で過ごしていたので、毎年この時期になると浴衣を着て街を下駄ばきで歩く大きな体のお相撲さんを見ていました。そして、いつもお相撲さんの姿を見るたびに、お正月が近いことを実感していました。
さて、私の小さい頃の遊びと言えば相撲でした。学校が終わると学校の相撲場に行って、集まってくる友達と相撲を取っていました。相撲を取っているとそのうち近所の大人たちが集まってきて観戦しました。特に豆腐屋のクーさん(みんなそう呼んでいた)は配達の途中いつも豆腐の天秤棒を横において声援を送ってくれました。
わたしの5・6年時の担任の先生も相撲が大好きで、クラスの男子みんなの番付を作り、子供たちを取り組ませて、本当の相撲のように、星取表を作って楽しんでいました。私は体が小さかったのですが、足腰が強くてそれなりに強かったので大関に抜擢されていました。
6年生の時は体の大きい横綱S君が14勝1敗で優勝しました。その時私は初めて彼に勝てたのですが、もう一人の横綱M君には負けて、下位力士への取りこぼし等あって結局11勝4敗で終わりました。しかし、何とか大関としての面目は保てたと安堵しました。
その当時、屋久島の田舎では今のようにたくさん娯楽があったわけではないので、大人たちにとっても相撲は最も身近な娯楽でした。ただ当時はテレビがないのでラジオで相撲放送を聞いていました。
しかし、残念ながら相撲の実況を聞いてもどうゆう風に取り組んでいるのかほとんど分かりませんでした。ただ歓声の中で聞こえる「のこった、のこった」という声を聴いてドキドキしていました。勝負が決まると歓声でしばらく実況が聞こえなくなり、その後歓声の中から「○○の勝ち~、○○の勝ち~」というかすかな声が聞こえてきて、それで喜んだり、残念がったりしていました。
わたしの担任の先生は自分で大相撲の星取表を作っていました。島だと新聞が来るのはあくる日の夕方、すでに相撲の取り組みが始まっている時間だったり、海がしけて船が来ないときなどは数日後にまとめて届いたりするので、先生としては新聞が来なくても大丈夫なように自分で大相撲の星取表を作り、それを持ってラジオを聞いて楽しんでいたんだと思います。
間もなく、大相撲放送はラジオだけでなく、テレビでも観戦できるようになりました。そして今や携帯・スマートフォン、それに車に着いたナビでも見られるようになり、とっても便利になりました。しかし、残念ながら私としては、昔感じていたような興奮は感じられなくなったように思います。
また、今は大相撲だけでなく野球やサッカー、バスケットにバレーなどもプロ選手が次々に生まれ、子供たちはいろいろなスポーツに触れることができるようになりました。
そう思うと今の子供達はとっても恵まれた時代に生きているなと思います。
今私たちの周りは楽しい娯楽で満ち溢れています。また美味しい食べ物や素敵な環境に囲まれて、とっても便利な世の中になっていますが、不便な中で苦労しながら少ない娯楽によって楽しんでいた時代もそれなりに幸せな時代だったと懐かしく思っています。
私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。伝道3:12~13
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