卒業式

公開済み 3月 25, 2018 by 管理人 in アドナイ・エレ

~おじちゃん、じゃ~行くね~

先日いつものように緑のおじさん(児童通学保護員)で立っていると、6年生の男の子たちが「僕たちランドセル、今日で最後なんだ。」と言ってきました。そうか、彼らはあと卒業式を残すのみで、6年間の小学校生活が終わるんだなと、少し寂しさを覚えました。

中学生になるとほとんどの生徒がここを通らなくなってしまいます。そして大半が部活を始めるので、会う機会がまずなくなってしまうのです。

改めて彼らを見ると、入学当初、背中全面を覆っていたランドセルが、今では当時のものとは別物みたいに小さくて、大きな背中の上部にチョコッとくっついているみたいに見えて、6年間の彼らの成長を感じました。

そしてついに今日、卒業式に来賓として出席させて戴き、彼らの小学生活最後の日の晴れ姿をじっくり目に収めてきました。

一人一人が壇上に立って、校長先生から卒業証書を授与されるたびに、毎朝会っていた時の彼らの様子がよみがえってきました。

Kくんはスポーツ少年団でのソフトボールの様子をいつも話してくれました。大会でのチームの成績からまた彼が試合でどのような活躍をしたか、時には私も野球を少しかじっていたので、バットスイングについて熱を帯びて詳細に話し合ったこともありました。また、彼はお友達を待つ間、私のすぐ後ろの低いブロック塀の上に座って、宿題?をよくやっていました。

Sくんたちはいつも4人組で登校してきました。4人一緒なので「○○君おはよう、○○君おはよう。・・・」と一人一人の名を呼んでハイタッチしましたが、彼らが通る時の挨拶はとっても忙しかったことを思い出しました。

MさんとHさんはいとこ同士です。とっても仲が良くて交差点でいつも待ち合わせをして登校していました。彼女たちはなぜか登校時間がまちまちで、一人が早い時はもう一人が遅く来るということを良く繰り返しました。ただ、長く待つので彼女たちとはたくさん話ができました。またMさんは待つ間教会の週報を読んでくれることもありました。

彼女たち二人が会って学校に向けて歩き始めるときの「おじちゃん、じゃ~行くね。」と、かけてくれる声をもう聞かれないかと思うと少し寂しい気もします。

Tくんが卒業証書を授与されるときは、彼が手に痛々しく包帯を巻いてきた時のことを思い出しました。私が「どうしたの?」と聞くと、「友達とサッカーボールでドッチボールをしたら、手を骨折したの。」との返事、「どうして、またサッカーボールでドッチボールなんかをしたの?」と聞くと、「なんとなく、みんなでドッチボールをしようということになって、…」とのことでした。長く包帯を巻いていましたが、今はすっかり良くなって、卒業を迎えられてよかったなと思いました。

そのほか、いつも遅く登校してきて走ってハイタッチしていくFさんや、まだまだ沢山の知り合いの子供たちが卒業していきました。

彼らはもう来月には中学生としての生活が始まります。卒業・入学は彼らにとって人生の大きな節目です。竹の節のようにこれを機にさらに大きく成長してくれるものと思います。

中学生になると、急に勉強が忙しくなります。コツコツと努力を続けると必ず大きな実を結ぶことになると思います。勉強に運動に新たな思いで頑張って戴きたいと思います。

勤勉な人の計画は利益をもたらし、すべてあわてる者は欠損を招くだけだ。箴言21:5

なまけ者は冬には耕さない。それゆえ、刈り入れ時に求めても、何もない。箴言20:4

牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。しかし牛の力によって収穫は多くなる。箴言14;4

なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。箴言6:6~8

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