人工知能
~便利なことって幸せ?~
私の小さい頃、私の田舎には映画館がなかったこともあって、高校進学で街に出るまではほとんど映画を見たことがありませんでした。高校に入って初めて石原裕次郎という有名な映画スターがいることを知りましたが、彼の出る青春・恋愛映画を見ることはなく、唯一友達と見に入ったのが、植木等が出る喜劇映画でした。
やがて、大学に進学した後にデートで映画観に行くときも、渥美清の「男はつらいよ」やチャップリンの「モダン・タイムス」など喜劇ものでした。今思うと家内に申し訳なく思いますが、彼女も結構楽しんで観てくれていたのではないかと勝手に思っています。
これは資本主義社会や機械文明を痛烈に風刺した作品で、労働者の個人の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現しており、次々に流れてくるベルトコンベアーの速さに合わせて、ただひたすら働き続ける労働者が、機械のご主人にこき使われる哀れな人間の姿を映し出しており、どこか機会文明の危うさを感じました。
以前、次のような話を聞いたことがあります。それは東南アジアの開発途上国を訪れたある方が、稲刈りをするのに沢山の人が出て、鎌を使って手作業で長い時間かけて行っている姿を見て、稲刈り機を贈ってあげたそうです。
あくる年、彼が収穫時に様子を見に行くと、稲刈り機はそこに置いたままでやっぱり手作業で刈っている姿があり、彼は機械を使えば簡単で楽なのにどうして使わないのだろうと不思議に思いました。そして「そうか、彼等は多分使い方がわからないのだろう」と思い、教えようとすると彼らから「時間がかかってきつくても、みんなで一緒にする方が楽しいから」との答えが帰ってきたそうです。
便利になることがはならずしも幸せとは限らないということだと思います。近頃はモダン・タイムス時とは比較にならない、AIすなわち人工知能を使ったものが私たちの周りに増えてきました。様々な工業製品の生産分野だけでなく、車の自動運転や、農業・医療の分野に至るまでいたるところで使われるようになり、便利で役に立つものも増えてきました。そして、中にはチェスや将棋・囲碁などは、人間の能力を凌駕する能力を備えたものまで出てきました。
昔、鉄腕アトムという手塚治虫さんが書かれた人気漫画がありました。アトムは原子力をエネルギー源として動き、人と同等の感情を持った少年ロボットで、製作者は天馬博士ですが紆余曲折あって、やがてアトムの可能性に着目していたお茶の水博士に引き取られ、情操教育を受け、人間の小学校に通わされるようになります。
現在のAIの発展を見ると、夢物語であった鉄腕アトムが現実化してくるような気がします。さらに、このようなAIロボットが自由意志を持つようになり、製作者の意思に反して勝手に活動するようになったら、恐ろしい社会になると思います。実際AIがそこまで行くことはないと思いますが、同じようなことが創造主なる神様と被造物なる人の間に起こっていることを考えさせられます。
人は皆神によって造られたのに、与えられた自由意志によって神様から離れ、神を認めないで自分勝手に生き始めました。製作者から離れたAIロボットが意味のない危険なものになってしまうように、神によって造られた人間が神を離れた結果、その存在意義さえ見いだせなくなり、紛争や戦争がなくならない社会になってしまいました。
人は創造者につながって初めて生きる意義がわかり、真の人生を歩むことができるようになります。
主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。エレミヤ10:12
【主】はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは【主】であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。──【主】の御告げ──。」エレミヤ9:23~24
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