桜島の降灰
~喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く~
先日、桜島を望める産業道路を車で走っていると、屋根から窓にかけて灰をかぶり、かなり汚れたバスが私達のすぐ横を走っていました。そこでつい、助手席に乗っていた妻に「見て、見て、灰で汚れたバスが隣を走ってるよ。」と言ってしまいました。乗用車で灰をかぶった車を見ることはあっても、バスが汚れたまま走るのをまず見ることはないので、少し驚いてしまいましたが、乗客は誰も乗っていなかったので、多分回送車で車庫に掃除に向かうところだったのではないかと思います。
今年は久しぶりに灰をかぶり汚れたまま走る車を見かけるようになりました。しかしそれでも、わたしたちの若い頃に比べると、まだまだ降灰量は少ないほうです。以前は前が見えないほどの降灰で、車が通るたびに積もった灰を巻き上げて、それが洋服や顔や髪の毛について、身体中が灰色になってしまう程でした。
降灰は運動場の土埃や砂浜の砂が舞い上がるのと違って、鋭利な尖った形をしているので目に入ったり、服の中に入ったりするとチクチク痛くて大変です。また、車のフロントガラスに積もった灰をワイパーで洗い流そうとすると、ガラスを傷付けてしまいます。
母が実家で一人住まいをしているときは、時々行って屋根や雨樋に溜まった灰を取り除く作業をしていました。降灰は雨が降っても勝手に流れて落ちてくることはないので、屋根に登って灰掃除をしなければならなかったのです。
その当時、母が「桜島なんていらない。他県の人が引き取ってくれないかしら。」とよく言っていました。それは、観光客が桜島の雄大さを見、吹き上げる噴煙を見て、感動していたからでしょう。
また、「桜島に蓋をしたい」とも言っていました。窓を閉めていても降灰は部屋に入り込み机の上や畳の上もザラザラし、家中を拭いてまわらなければなりませんでした。また洗濯物も迂闊に干せなかったので、そう言いたい気持ちも分からないではありませんでした。
鹿児島では他県にない降灰予報というのが天気予報の中で必ず語られます。それは桜島の噴火があった場合、噴煙がどの方向に流れるかを予想して知らせてくれるもので、随分昔から行われていました。当初は上空1500メートルの風向きとして矢印で表示されていましたが、今はもっとわかり易く降灰範囲までわかるように表示されるようになりました。
私は鹿児島市でも最も南部の町に住んでいるので、桜島からは離れていて、降灰がこちらに向かうことは少なく、また降っても降灰量も少ないので、時々車が薄っすらと灰を被ることがあっても、水ですぐ洗い流せる程度で特に問題はありません。
それなのに、降灰予報がこちらの方に向いていたら、風がこちらの方に吹いてくれるなとつい思ってしまいます。降灰量の多い所の方々は私達とは比較にならない程、被害を被っているのに、自分勝手な思いを持った自分自身の身勝手さを反省させられます。
わたしが昔、実家に行って屋根の灰下ろしをしていた頃の大変さを思い出し、降灰の多い対岸の町々の方々や桜島に近い鹿児島市内の人々の痛みを覚えられるようにしたいと思います。
しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。・・・あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。・・・それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。コロサイ3:8・・・12
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。ローマ12:15a
No Response to “桜島の降灰”