お金落ちてた
~人を助ける喜び~
ピンポ~ン、今日も学校帰りに子供達が呼び鈴を鳴らす。また、おトイレ貸してかなと玄関に出ると、2年生の男の子が4人そこに立っていました。そして、その内の一人が「おじちゃん、10円落ちてた。」と10円玉を差し出しました。
よく落とし物があったら教会に持ってきます。明らかに子供が登校時や下校途中で落としたものだと分かったら、預かって明くる日子供が通る時に、子供達に「これ誰のか知らない?」と聞いて本人に渡したり、学校に持っていってもらったりします。
よくあるのがカバンに付けてるペンダント等の飾り物で、たいてい本人に渡すことができます。大きいものでは絵本袋や傘まであります。そのようなものは、だいたい誰のか分かるので、学校に持っていってもらい本人に渡してもらうようにします。
しかし、お金の場合は落とし主に渡しようがありません。そこで、「教会じゃなくて、交番に持って行きなさい。」と言うと、「嫌だよ。」との返事が帰ってきます。折角ここまで帰ってきたのに、また10円のために逆戻りするのは嫌だということだろうと思います。
子供達が拾ったお金を自分のものにしないよう、はっきり自分の物と人の物との区別を教える、日本の家庭教育のあり方は素晴らしいと思います。多くの外国ではまずこういうことはないと言われます。
しかし、10円等の小銭を交番に届けても交番としても対処しようがないということを聞いたことがあったので、それではと子供達に「世界にはご飯を食べられなくて、苦しんでいる子供達がたくさんいるんだ。その子供達に送って助けてあげる募金にして良いかい?」と、聞いたら「え~、そんな人がいるの?」と信じられないような様子。
私は日本国際飢餓対策機構から、ハンガーゼロ・アンバサダーに任命され、世界の食べられない人たちのための支援活動を託されているので、世界の飢餓のことを少し話して、「その子供達に送ってあげるために使って良いね。」と言うと「うん、いいよ。」と頷きました。
そこで、募金箱を差し出すと、「僕が入れる、自分で入れる」と喜んで募金箱に入れてくれました。そして、なんだか満足したような顔で帰っていきました。
明くる日の夕方、子供達の学校帰りの時間に、またピンポ~ンと教会の呼び鈴が鳴りました。私が出ていくと、また昨日の子供達が立っています。「今日はどうしたの?」と聞くと、「50円落ちてた。」と今度は50円玉を差し出します。
びっくりして、「これどこで拾ったの?」と聞くと、「自動販売機の下」との答え。は~ん、なるほど、あそこだったら落ちてるかもしれないなと納得しました。子供達は食べられない子供達を助ける為、良いことができたので、また今日も学校帰りに探してみたようです。そして、喜んで50円を募金箱に自ら入れて帰りました。
そして、あくる日もピンポ~ンと彼らが来ました。自動販売機の下といえども、そんなに毎日落ちていないだろうと彼らを迎えると、「おじちゃん。あれ送った?」と聞きます。自分たちの募金で食べられない子供が助かるというので、喜びつつその後が気になってしょうがない様子です。
私が「そんなにすぐは送らないよ。毎年10月にそれまでに貯まった分を送るのだから。」と言うと、「今、いくら貯まった?」と気になる様子です。「募金箱に入ってるから、いくらかはわからないけど、送ったら教えるね。」と言って帰しました。
子供達が自分のことだけでなく、世界の状況を少しでも知って広い視野で生きていってくれるようになったら良いと思います。
世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。Ⅰヨハネ3:17~18
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