鹿児島8.1,8.6水害の記憶 Ⅱ
~神の導きと守りに感謝~
先週は1993年8.1水害での豪雨の中、大口から山越えで濁流と土砂崩れの中、何とかたどり着いた水俣市で、トンネルの崩落により立往生、前にも後ろにも動けない絶体絶命の渋滞の中、不思議な形で私達の車だけそこを抜け出すことが出来たことを書きました。
さて、大分の子供キャンプで奉仕をした私達は、8月6日早朝そこを立って帰路につきました。夏の日差しが眩しい上天気の中を賛美したり、楽しい会話をしながら九州を横断し、福岡の久留米に入り、そこから高速に乗り南下を始めました。
熊本を通り八代まで来た時、普段ならそのまま高速を鹿児島へと走るのですが、その日は高速を降り、3号線を走って川内のM先生のお宅に立寄ることにしました。高速を降りると何倍もの時間がかかるので、後にも先にもこの1回しかこのようにしたことはありません。
国道3号を南下して阿久根まで来ると、にわかに黒雲があたりを覆い始め、突然激しい雨が降り始めました。10分もすると国道横の土手から勢いよく水が吹き出して道路に流れ込み、道が冠水し始めたので、来る時の悪夢が思い出されました。
川内市の水引という所まで来ると、消防団の方が冠水した水の中に立っておられ、通行止めを宣告されました。後ろからは次々に車が来て、動けなくなって来たので、このまま何時まで立ち往生するのかといささか不安になってきました。
すると、ここでも不思議な事が起きました。水の中におられた消防団の方が、私達の車に水を通って先に行くように指示を出したのです。かろうじてそこを渡ったのですが、今回も私達の車だけで、他の車は続いてきませんでした。私達の車がハイエースワゴンだったので、これだったら渡れると判断して通してくれたのかもしれません。
M先生宅でしばらく歓談していると、激しく降り続く雨で周りの畑に水が溢れ始め、道路も冠水を始めたので急いでお暇して帰路につきました。そこからは3号線を通らずに農免道路を通り、山越えで近道を通って帰ることにしました。
伊集院、松元と細い山道を走る間も激しい雨は降り続け、こぶし大の石がゴロゴロ道路に流れ込んできている所を、それらを避けながら走り、谷山の自宅に帰り着きました。そこで、テレビのニュースを見るまでは、鹿児島県中が集中豪雨で大変なことになっているとは全く知りませんでした。
鹿児島市街地を流れる甲突川や新川が氾濫し、橋は流され、車は何台も浮かんで流れ、長男も腰まで浸かって 学校から自転車を押して帰ってきたと話していました。私達が農免道路を通らずに3号線を走っていたら、決して家に帰り着くことは出来なかったでしょう。
さらに驚いたのは、私達が高速を降りないでそのまま走って帰っていたら、途中から高速が通行止めになり、国道10号線に出て、竜ヶ水を通っていました。テレビを見ると竜ヶ水あたりの山々のいたるところで土砂崩れが発生し、前も後ろも堰き止められたたくさんの車が逃げ道を失って立ち往生していました。
するとついに、大きな山崩れが起きて、大量の土砂が電車や車、さらに逃げ惑う人々を飲み込んで海に投げ出し、大惨事になっていました。陸路で助けに行けないので、船で助けに向かっていましたが、たくさんの方々が犠牲になられました。
自分たちも高速をそのまま来ていたら、この恐ろしい災害に遭っていたであろうことを思うと、神の導きと守りがあったことは感謝ですが、自分達が助けられた安堵感より、多くの人が被害に遭われ苦しんでおられる様子を見て、いっときも早く助け出され、神様の慰めと守りがあるようにと祈らずにはいられませんでした。
わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、 すべての道で、あなたを守るようにされる。詩篇91:10~11
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