敬老感謝礼拝
~いっぱい感謝する日~
佐多多視子
うちの教会では敬老の日の近くの日曜日に敬老感謝礼拝を行い、知人・友人のご年配の方々を招いて共に礼拝をした後、準備した手作りのお料理を頂きながら歓談の時を持っています。
この方々は、戦時中から敗戦後、荒廃した日本でくじけずに一生懸命生きて、今日の日本の繁栄の礎を築いて来て下さいました。この勤勉さとたゆまない努力が私たちに不自由ない豊かな生活を与えてくれました。したがって、教会の敬老感謝礼拝はこのようなご年配の方々に敬意を表すためのものです。
この方々は物資の乏しい中、物を大切にし、工夫して生活し、夢を持って生き抜いて来られました。また、一生懸命働いて、一生懸命子供たちを育ててきてくださいました。
最近特に思うことがあります。杖をついて歩いておられたり、ショッピングカーを押しながら歩いておられるご年配の方々を見て、「あの方々には子供さんはおられないのかね~」と主人と話していますが、昨今は年金制度があって大変ありがたいのですが、それに甘えて親を放っておく傾向があるように思います。いくら充実した施設に入れてもらっても、良い環境においていただいても、子供たちと共にいることや、子供たちに気をかけてもらっていることの方が幸せを実感できるように思います。
親は子供が自立するまでいったい何食のお食事を造り、何百回、何千回とおしめを変え、幾度となく洗濯をして、子供たちのために数えきれないほど心配し、気遣ってこられたことでしょう。
だから敬老の日は、私のためにご飯を作ってくれて有難う。おしめを変えてくれて有難う。いっぱい心配してくれて有難う。自分のものは後回しにして子供のためにいろいろなものを優先して買ってくれて有難うと、いっぱい感謝する日にしましょう。
先日、ほほえましい光景を見ました。お孫さん(中学生か高校生)がお祖母さんに付き添って、病院から出てきました。「あの娘さんは偉いね。良いことがいっぱいあるといいね」と主人と話しました。
うちの教会のメンバーの娘さんたちもお祖母さんに「お父さんを産んで育ててくれてありがとう」と毎年言っているそうですが、それだけでお祖母さんは胸がいっぱいになって涙ぐまれるそうです。
うちの孫たちも毎年、作文みたいに長いお手紙やいろいろな色を使って絵を描いたお手紙などを送ってくれます。嬉しくていつもしばらくそれを飾って眺めております。
敬老の日は、周りのご年配の方々に心からの感謝の意を表すようにしましょう。
あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは【主】である。レビ記19:32
そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも共に楽しむ。「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。エレミヤ31:13
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