柿の木の復活
~性急な判断をしない~
教会の裏庭に夏みかんの木と柿の木があります。これは20年ほど前にHさんが植えてくれたものです。当初は小さな苗を少し離して並べて植えてくださって、「数年したら実がなるようになりますよ。」と言って下さったものですが、今ではみかんの木が大きくなり柿の木をすっかり覆ってしまい、近年柿の木の存在さえ忘れがちになっていました。
この2本の木は肥料を上げたり、剪定したりの世話を受けることなく、勝手に育っています。それでもみかんの木の方は毎年たくさんの実をならせますが、柿の木の方は毎年ほとんど実をならせることはありませんでした。それで、教会員には教会の裏庭に柿の木があることさえも知られていない状況だったのです。
私も、柿の木が近年もうほとんど枝を伸ばすこともなく、葉を茂らすこともなかったので、このまま実を結ぶことなく、枯れてしまうのではないかと思っていました。それがどういうわけか今年はミカンの木の傍らに伸びた細い枝にたくさんの実を実らせました。
最初は特に食べる気もなく、そのままほっとこうと思っていましたが、妻がせっかくだから少し採ってみたらというので、比較的取りやすそうな実を数十個取って、紙袋に入れて教会の台所に置いて置きました。
それを、先日の礼拝後のお食事会に、せっかくだから切って出してみましょうと、教会員の方が、そのいくらかを取って皆に提供してくれました。すると、この柿は美味しいねと口々に褒めて美味しそうに食べてくれました。
突然復活した柿の木、今年は次々に来る台風でかなり痛手を被ったであろうに、精一杯実をならせ美味しさを提供してくれました。この柿を見ながら聖書にあるイエス様の例えを思い出しました。
イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」ルカ13:6~9
この個所はすぐ裁かないで、罪の悔い改めを待つ神様の愛について話していますが、神様は最後まで期待して私たちが罪を悔い改め、義の実を結ぶのを待っておられます。私たちも人々に性急な判断をしないで、突然花開き実を結ぶ大器晩成への成長に期待して、見守り続ける必要があるのかもしれません。
今年は京都大学の本庶佑教授がノーベル医学生理学賞を受賞されました。本庶先生はガンの治療に関して新しい免疫療法を開発されました。先生にしてもIPS細胞の山中教授にしても、多くのノーベル賞受賞者は日の目を見ない数十年の基礎研究の成果なのです。
先生方をはじめ多くの研究者の地道な努力の結果、私達がその恩恵を受けています。近年日本ではこのような基礎研究の分野が疎かにされ、すぐ結果が出る応用分野に予算が配分されるようになってきていることを先生方は危惧されておられます。先生方が心置きなく研究できることを願っています。
一方のミカンの木は台風でたくさんの実が落ちましたが、まだたくさんの実を結んでいます。まだ美味しく実るまでには数か月待たないといけませんが、こちらも楽しみに待ちたいと思います。
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