便利にはなったけど…電話事情
~すべてに勝る優先事項~
先日、ふっと目にしたテレビで近ごろの若者は電話が嫌い。会社の上司が仕事上で電話をかけても出ないと上司の方が嘆いていました。私が若い頃は上司から電話が来たら、何はさておき電話に出ていました。もっとも友達同士の電話のように楽しくはないけど、仕事上当然のことだと思っていました。
確かに、私も電話自体はあまり好きではなりません。電話はすべてに勝る優先事項になっています。本を読んでいても、探し物をしていても、考え事をしていても、お食事中であっても電話が鳴ると全てを置いて電話機に駆けつけなければなりません。
さて、私はパカッと開けて使ういわゆるガラケーなるものを持っていますが、ほとんど使うことはありません。夫婦二人暮らしで、一緒に行動することがほとんどなので、普段はまず必要ありません。偶に一人で出かけた時に「今から帰るから」と連絡するだけのために持っているようなもので、使うのは月1回程度です。
教会関係の連絡はパソコンのメールがほとんどなので、こちらの都合の良い時に見て確認し、返事はメールで送ります。緊急の場合は教会(家)の電話にかかってくるので、携帯電話自体そんなに必要は感じません。
電話と言えば、私が小学校高学年の頃、父の会社の社宅に移った時に電話が設置してありました。田舎だったこともあって、役所やお店以外は、当時電話がある家はほとんどありませんでした。珍しいこともあって、同じ社宅のお隣に住む友達と「遊ぼう」なんて電話していました。
また、私の父が小さいころ(大正時代)にも自宅に電話があったことを話してくれました。祖父はその町の町長をしていたので、緊急連絡用に自宅に電話が取り付けてあったということでした。私の小さいころでさえ珍しかったので、当時は一般の人には電話なんて見たこともないような代物だったことでしょう。
そこで、家の電話ベルがリリーン、リリーンと鳴ると、子供たちは電話に出るのが怖いので、皆寒くても外に飛び出していたそうです。たぶんお父さんからの電話が多かったのでしょうが、その時家にいなかったことにしたかったということでした。
今のように各個人が電話を持つようになったのはごく最近のことです。私の大学時代でも50人の男子寮の玄関に1台のピンク電話(公衆電話)が設置してあっただけで、電話がかかったら、近くにいる人がとって、横に設置してあるマイクで「○○さ~ん、お電話でーす。」と寮内に呼び掛けていました。
モテル男子たちは彼女などからよく電話がかかっていたようでしたが、残念ながら私はそうではなかったので、呼び出しはまずありませんでした。その様なこともあってなのか、いまだに電話はあんまり好きにはなれません。
先日私のガラケーが間もなく使えなくなるで、スマートフォンに買い替えるようにとの通知が来ました。今もほとんど使っていないのに、買い替えるのはもったいないとは思いますが、無いとまた困るのでそうせざるを得ないのかなと思っています。
一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。伝道者1:4~7
大自然はいつまでも変わらないのに、人間だけがあくせくして新しいものを追い求めて生きているように感じます。便利さ=幸せとは限らないように思われますが・・・。
私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。伝道者1:14
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