本読みのボランティア
~何でくっつけたの?~
小学校で10年ほど前から、本読みのボランティアをさせていただいております。1年に12回から15回ほど、それぞれのクラスに行って、月曜日の朝8:30から20分程度、子供たちに本の読み聞かせをさせていただきます。
読む本は教会員の方からお借りしたマックス・ルケード作の「たいせつなきみ」「そのままのきみがすき」「きみのかわりはどこもいない」などの聖書を題材とした本と柳川茂作の「ファーマーさんはみすてない」等を使っております。
「たいせつなきみ」は、たくさんの手彫り人形ウイミックスたちがお互いを評価し合い、駄目なウイミックにはダメ印シールを張り付け合うというお話で、たくさんダメ印をつけられたウイミックスが造り主エリの所に行き、「私にはお前がとても大切な存在なんだよ。」と言われて、新しい歩み始めるお話です。
クリスチャンには創造主なる神様が、すべての人に対して、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43:4と言われた御言葉を連想させます。
また、この本は学校等での弱い者いじめについても考えさせます。そこで、読み終わった後「君たちの中にはこのウイミックスたちのように、人を馬鹿にしたり、のけ者にしたりしている子はいないだろうね。一人一人が大切な存在なんだよ。」と皆がお互いを大切にするように話します。
また、「きみのかわりはどこにもいない」という本は、99匹の羊を残して迷子になった1匹の羊を探しに行くお話で、ルカの放蕩息子のたとえに通じるお話です。
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。ルカ15:4~7
6年間の間には同じクラスに何度も行くのと、クラス替えがあるので一つの本でも「それ読んだよ。」という子と「まだ読んでない」とかいう子たちが出てきて、お借りしている本だけでは到底足りないので、ほかにも何冊か準備しております。
以前、1年生のクラスで島崎藤村作の「おさなものがたり」より、「つるとかも」の話を読んだことがありました。内容は鶴と鴨がお互いの足を交換する話です。
鴨が鶴に「私はお前さんのような長い脚がうらやましくてなりません。」というと、長い脚を持て余していた鶴は「私はお前さんの短い脚がいい。」と言って、取り替えます。
長い脚の鴨は他の水鳥たちを見下ろして喜びます。鶴は湖をスイスイ泳げる足が気に入って泳ぎ回ります。しかし、3日もするとお互いが取り替えた足にくたびれて再び交換しに行きます。結局はお互いに元の足の良さを再発見する話です。
この話をした時、一人の男の子から質問が飛びました。「取り替えた足は何でくっつけたの?」私はその質問に何と答えようか迷いました。「これはたとえばなしで、じっさいはそんなことはできない。」なんて言えないし、・・・。
すると一人の子が「僕はセロテープでつけたと思う。」というと、質問した子も「僕もそう思った。」と答えたのです。たぶん、接着剤だったら取り外しが大変だから、セロテープだったらいいと思ったのでしょう。
そのような答えで良かったのか、下手に答えなくて良かったとホッとしました。無邪気な子供たちを見て、本読みボランティア活動の楽しさが更に増しました。
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