恐れるべきもの

公開済み 6月 9, 2019 by 管理人 in アドナイ・エレ

~私は雑草と同じ?~

先日、川崎市登戸でスクールバスを待つ子供たちの列の背後から包丁を持った男が凶行に及び、20人を殺傷するという悲惨な事件が起きました。それによって子供さんを送りに来ていた外務省職員と小学6年生の女生徒の二人がなくなられました。その後犯人も自殺をしてしまいました。

犯人がなくなった以上動機とかを深く知ることはできませんが、彼の生い立ちがマスコミで報道されるにつれて、幾分かその凶行に走った経緯が分かってきたように思います。

彼が幼いころ両親が離婚して、彼は祖母の家に預けられます。まだ、母親の愛を求める幼少期に、両親ともに彼の育児を放棄して祖母に預けられ、そして伯父・伯母家族と住むようになって、両親に見捨てられた寂しさや、自分の家庭がいない寂しさが、やがて両親に対する憎しみへと変わっていったと思います。

そして、憎しみは放置すると徐々に大きくなっていきます。それが、両親だけでなく周りの人々に対する憎しみとなり、やがて怒りやすく頻繁に暴れるようになり、皆に敬遠されるようになったようです。それが彼の中学生時代を知る人たちからの証言で分かってきました。

また、捨て子とかも言われたことがあるようで、自分の存在意義を見出せなくなって、自分は生きていても意味のない人間、生まれてこなかった方が良かったんだと考えるようになったとしても仕方のないことです。

彼のことを考えている時に、以前聞いた一人の女子学生の話を思い出しました。彼女は両親からその存在を否定するような発言をされているうちに自分の存在意義を失い、彼女はあるとき雑草を見て自分と同じだと思った。それは雑草が皆に嫌われ、邪魔で迷惑な存在なのに、それでも一生懸命生きようとしている姿が自分とだぶって見えたというのです。

さて、彼は自分の存在意義を見失う一方で、憎しみは増大し、やがてそれは社会全体に対するものに変わっていきます。社会全体が自分を邪魔者、のけ者にし、苦しめている。その社会に対する憎しみ、復讐心があのような凶行となって表れたのではないかと思います。

恐れるべきものの一つは私たちの持つ憎しみです。それはいつの間にか自分自身を間違った方向へ振り回す危険な存在になります。憎しみは自分自身を苦しめ、例え彼の様な凶行に走らなくても、自分の体を傷つけたり、病気を併発したりすることになります。憎しみは自分がいくら正しくても、百害あって一利なしです。なるべく早く捨てるようにしましょう。

真の神様はそんな境遇で苦しんでいる彼を知っておられ、助けてくださるお方です。その神を知ることは彼の根本的な問題の解決につながり、新しい幸せな人生を得ることに繋がったはずです。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。マタイ11:28

ただ、彼のこの凶行は、亡くなられた方や傷つけられた方、その家族・友達等たくさんの人々を不幸にし、悲しみのどん底に陥れる結果となりました。彼はその責任を取ることなく自害してしまいました。

死んだらすべてが終わると思ったら大間違いです。私たちの肉体は、何時かは朽ちていくものです。しかし、私たちの存在は肉体だけではありません。私たちの魂は生きていて真の神の前に立って、裁かれる時が来るのです。その時はもう情状酌量の余地はありません。私たちが真に恐れるべき方は、死んで後正しい裁きをなさる真の神であるべきです。

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている・・・。へブル9:27

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。ガラテヤ6:7~8

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