お盆について考える

公開済み 8月 18, 2019 by 管理人 in アドナイ・エレ

人は死んだら、どこにいくの~

お盆の休みといえば、昔は都会に丁稚奉公に出ている人が、奉公先から貴重なお休みを頂いて故郷の親元に里帰りをする感動的な日だったようですが、今はたくさんの人が国内旅行や海外旅行にも出かける長期休暇となっているようです。

先日、関東に住む3男に「お盆休み、こちらに帰ってこないかい?」と聞いたら、「ごめん。友達とシンガポールに行く予定があるから。」との返事、ついに我が子までがお盆休みは海外旅行に気楽に出かけるようになってしまいました。

また、先日高速道路のサービスエリヤに立ち寄ったら、九州・四国・遠くは関東あたりの県外ナンバーがずらりと並び、駐車スペースを見つけるのに苦労しました。やっぱりお盆は、日本人大移動の時なんだなとつくづく思いました。

そこで、そもそも、日本人にとってお盆とは何だろうと思って調べてみました。

「お盆とは、浄土から戻ってくるご先祖様や亡くなった家族の霊をお迎えして供養する行事です。この世に戻ってきた精霊は、迎え火から送り火までのひとときを家族と過ごし、再びあの世へと返っていきます。」とありました。

つまり、お盆は先祖の霊が、どのぐらいの先祖までか対象が分かりませんが、唯一我が家の家族のもとに帰って来られる日ということで、お盆が終わると送り火に送られて、再びあの世へ帰って行くということでした。すると、お盆以外の他の日々には仏壇やお墓には先祖はいないということにならないかなぁ~と思いました。

それでは、人は死んだら、どこにいくのでしょうか。子孫に供養してもらうためにお盆の期間だけ帰れるということは、あの世とは苦しい所ということでしょうか?そもそも、先祖は子孫から供養してもらう存在ではなく、子孫の祈りにこたえて助けてくれる存在なのではないのでしょうか。それについても記述がありました。

「お釈迦様の弟子の目連は、母親が死後の世界で餓鬼道に堕ちて飢えに苦しんでいる姿を見て、お釈迦様に母を救う方法の教えを請いました。その教えに従って、布施や供養を僧侶や多くの方々に施したところ、その功徳により母親は極楽浄土に行くことができました。それ以来、目連が多くの人に施しをした715日は先祖供養の大切な日となったと伝えられています。」

それで、お盆の7月15日が先祖供養する日となったようです。目連の母親が特別極悪人だったわけではなかったのでしょう。それで、すべての先祖を供養するようになったと思われます。また、お盆が7月だったのが、8月になったことについては、

「旧暦の頃(明治時代以前)のお盆は715日を中心として、13日に迎え火、16日に送り火を行なっていました。新暦になると、お盆の期間が農作業の繁忙期と重なるため、ひと月遅れの813日から16日にお盆をするところも多くなりました。現在も地域によってお盆の時期はまちまちですが、大きく分けて713日から行う地域と、813日から行う地域があります。」とありました。こちらの都合で、ご先祖様がこの世に帰ってくる日を左右することができるということなのかな~と思いました。

 信仰は自由です。それぞれが信じるところに従って、歩めばいいと思います。私は自分の弱さや罪深さを知っているので、目連の母と同じく自分の力で天国に行くことができないので、下の御言葉を信じます。

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。ローマ3:23

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。エペソ2:8~9

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