幸せのベース、愛・喜び・平安
~人は信頼できるものがあると平安~
台風15号が関東地方を襲い、大変な爪痕を残して去って行きました。停電等で通信網が断たれたことによって、なかなか掴めなかった被害状況が、徐々に明らかになってきました。すると、想像を超えた大きな被害が出ており、途中から折れて垂れ下がる電柱や大木が道をふさいでいることも分かってきました。
10日以上経った今も、まだ停電や断水が続き、また家屋の損傷等も酷くて当面回復の見込みがつかない所がたくさん残っているようで、1日も早い復旧が待たれます。
私の3人の息子たちは横浜、千葉、茨城にそれぞれ住んでいるので、みな被害に遭ったようで、特に千葉の息子の所はひどくて、電気が復旧するまで数日かかったようです。息子は病院の患者さんの方にかかりっきりだったと思うので、嫁さんは電気が通じないないか、3人の子供たちの世話が大変だったと思います。
妻が息子に連絡したら、疲労で鼻をグスグスいわせているので、「早く寝ないとね。」と言うと、「連日の停電で夜は真っ暗。目先のドアも見えなくて、ぶつかるほどなので、昨日は夜8時に寝たら、夜中1時には目が覚めてしまった。」と言っていたようです。
また、彼のお嫁さんに電話したら、小・中学校はしばらく休校で、長女・長男は家だったけど、問題の元気坊の3男の幼稚園は休まないで、ずっとやってくれたので助かったようです。
さて、電気が来ないと親としては何にもできないで、とっても心配します。しかし、子供たちはかえってそれを楽しんでいるように思います。
昨年の台風の時、こちらでも停電になりました。電気がこなくて苦労したのですが、朝の見守りで子供たちに状況を聞くと、「ロウソクの灯りでご飯食べたり、懐中電灯をぶら下げて明かりを取ったり、キャンプみたいで楽しかった。」と言っていました。子供たちは親が一緒だったら、心配しないのだと思います。人は信頼できるものがあるとき、不安が除かれ、安心・平安が保たれます。
私が小学生のころ。我が家は川べりにありました。家のすぐ前は堤防で土手になっていて、住宅地は少し低くなっていました。家の裏手は少し小高くなっていて、小学校と中学校がありその間を小さな小川が流れていました。しかし、台風の度に前の川の水位が上昇して小川の水がせき止められるので、毎回住宅は床上浸水しました。そこで、私たちは台風が近づいたら、小学校の講堂に避難しました。
避難先には近所の友達もたくさん集まって来ていて、そこでみんなで遊ぶのが楽しくて、台風が待ち遠しいぐらいでした。勉強嫌いの私は、できたら昼間に来てくれたら学校が休みになり最高だとさえ思っていました。
しかし、親たちは大変です。台風通過後、当時はまだ水道がなかったので、共同井戸から水を汲んできて、床や土間を水で洗い流し、水に濡れた家財道具などを干して片付けないといけないので後始末が大変だったと思います。
一方、台風襲来によって子供たちの平安が奪われることはなかったのです。
さて、私たちの幸せのベースは平安なのです。いくらお金があって豪邸に住んで、美味しいものを食べられても不安や恐れがあったら決して幸せにはなれません。また、いくら地位や名誉、権力があっても、心に平安がないと幸せではありません。その平安を与えてくれるのが神様です。天地の創り主なる神様を信じた結果与えられるものは、以下のものです。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。ガラテヤ5:22~23
これらは幸せの実です。愛の実感があり心に喜びがあり、不安や恐れが取り除かれて心に平安があるならば、最高の幸せです。
天の神様だけがそれらを与えられるお方です。
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