またまた日本人のノーベル賞

公開済み 10月 20, 2019 by 管理人 in アドナイ・エレ

~失敗こそが研究の宝庫~

スウェーデンの王立科学アカデミーは10月9日、リチウムイオン電池の開発に寄与した3人にノーベル化学賞を贈ると発表しました。その3人のうちの一人が日本の旭化成名誉フェローで名城大学教授の吉野彰教授(71)です。

私と同じ年ですが、頭のつくりは随分違うようで、先生の研究成果は今ではなくてはならないものとなり、社会の発展に大きく貢献されました。しかし、実は先生の研究成果が認知されてからノーベル賞受賞までは30年以上待たなければなりませんでした。吉野氏のノーベル化学賞受賞に関しては、ただ私と同じ日本人ということだけで何となく誇らしい気分です。

2001年以降、自然科学分野の日本人ノーベル賞受賞者は18人を数え、世界で2番目の多さとなっています。日本の研究者は基礎科学から応用工学まで幅広い分野で力を発揮しておられます。

さて、この度受賞された吉野氏らによるリチウムイオン電池の開発の経緯は、次のようになっています。

まず、今回同時受賞のニューヨーク州立大学ビンガムトン校のM・スタンリー・ウィッティンガム教授(77)が1970年代の石油ショック最中に化石燃料に依存しないエネルギー技術の開発をはじめ、エネルギーの豊富な二硫化チタンという物質を発見し、それをリチウム電池の+極として利用し、-極には金属製のリチウムを使った。リチウムを利用することで、2ボルトを超える出力が可能になったが、同時に発火しやすい欠陥もあった。

次に、ノーベル賞受賞者最高齢となった、米テキサス大学オースティン校のジョン・B・グッドイナフ教授(97)は+極を二硫化チタンから他の金属酸化物に置き換えることでリチウム電池を改善しようとし、1980年コバルト酸リチウムに変えて出力を4ボルトまで押し上げることに成功しました。

そして、1985年に吉野氏が、これらの研究をもとに、世界で初めて実用化に耐えられるリチウムイオン電池の開発に成功し、1991年にソニーが初めてリチウムイオン電池を発売するに至りました。

イギリス王立化学協会のデイム・キャロル・ロビンソン教授は、「彼らの先駆的な研究は、どこを見ても使われている。あなたのポケットの中の携帯電話から電気自動車、未来の家庭向け蓄電設備にいたるまで、化学がどうやってこうした道を切り開いているのかを示す非常に良い例だ」と話した。

また、イギリス王立協会の会長を務めるサー・ヴェンキ・ラマクリシュナン教授は、「たった一人の努力が科学の重大な発見に結びつくことは非常にまれだ。今年のノーベル化学賞がこのような形で分かち合われたのはまさしくこのことを示している」と述べている。

吉野氏は受賞に当たって「電池の技術は複数の異なる分野にまたがっている。発展のためには多くの専門家の力が必要なのです。リチウムイオンの電池の発明は私だけの力ではなく、様々な知恵が合わさった結果だと思っています。」と話されました。

しかし、これらの先生方の一つの成功の陰に、想像を絶する数の失敗が重ねられていることをも知る必要があるでしょう。吉野氏は「失敗こそが研究の宝庫です。」と語っています。そして、研究者に必要なことは、執着心と柔軟性を備えていることだと言っておられます。

多くの失敗にめげないでコツコツと不断の努力をすることが大切なことのようです。私の全く不得手とするところですが、私たちも、これらの先生方の生き方から何かを学び取れたらいいと思います。

小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ルカ 16:10

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