人は何のために生きるか? Ⅱ
~神様は心を見られる~ 佐多多視子
先日、毎年開催されている世界食料デー鹿児島大会で、例年のようにまた受付をさせていただきました。その中で、他教会の信者さんと二人きりになった時、その方から質問されました。息子達の事をどこかで聞いておられて、「子供さんを育てる時、何に一番重点を置いて育てられましたか?」と。
そこで、私は「世の中の人は、私が子供に着いていて勉強をさせてきたと思うでしょう。私はすごい教育ママだと見られているでしょう。しかし、私が子育てで一番重点を置いたのは心を見張るということです。私は学校等の講演会で長男が幼稚園の時、同じクラスのお友達の手首を噛んだ時の話をします。長男が早くお兄ちゃんにならなくてはと背伸びをしていた事を神様に教えられて、二人だけの時間を持つことを示されました。もしあの時、彼の寂しさを理解することなく『なんで人を噛んだりしたの。バシッ』とかしていたら、別の人格の人間に育ったことでしょう。
また、私が一般的な教育ママだったら、長男が小3の時4日しか宿題をしていかなかった事を1年間放っておいたり、次男が小学校入学の時かろうじて自分の名前だけ書ける程度で入学させたりはしなかったでしょう。」と話しました。彼女は黙ってうんうんと聞いていました。
「長男が小3の時、4日しか宿題をしていかなかったのは、それをする力がなかったからです。それで1年間彼を見ていて4年生になる時、彼にこう言いました。『お母さんは母教会と伝道所と掛け持ちでとても忙しいでしょう。でも、お母さんはあなたが大切なのよ。このままでは宿題だけでなく勉強そのものもできなくなってしまうと思って1年間考えたんだけど、…。学校でお勉強教えてもらってるでしょ。それで、学校へあなたの事で何かをしなくっちゃと思ったの。これ以上お仕事を増やすのは大変だけど(現に途中で倒れました)、4年生のクラスでPTA役員をしようと思うの。あなたがお勉強を教えてもらってるもんねぇ。お母さんも頑張るからあなたも宿題頑張れるかなぁ?』と言ったら、『うん!僕頑張れる!』と言ったの。
それで4年生から勉強するようになったのよ。お母さん達は皆、子供を愛してるのよ。でも伝わっていないのだと思うの。役員だって、その子がそこにお世話になっているから、その子が大切だからするのでしょ。でも、それを伝えないと『なんかお母さんは学校のことで忙しそうだなぁ。』としか子供は思わないでしょ。」
「そうですねぇ、うん、うん。」「神様は私たちの学歴や職業や役職や家柄を見ているのではなく心を見ているでしょ。」
【主】はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。Ⅱ歴代誌16:9a
「言わなくても分かる人や物事って殆んどないわよ。神様が何のために話ができるようにして下さってるのかというと、理解し合えるようにでしょ。私の母は私の話をよく聞いてくれました。私も今でも子供やお嫁さんと話をします。子供達が東大に合格しているので、お嫁さんは『どんなお母さんなんだろう』と思っていたことでしょう。怖かったと思います。それで、心の距離があるなと思いました。『一生懸命育ててきてお嫁さんとこの距離は悲しいです。』と神様に祈ったら、[お嫁さんの日]を作りなさい。お嫁さんの良い所を発見してそれを週報に書きなさいとアイディアをいただきました。そして、お嫁さんに『東大に合格させなくちゃ』と思って育てなくて良いのよ。気立ての良い優しい人に育ててね。」と言いました。また、教会の人にも『あなたに会えて嬉しいわ。良かった。』と言うわよ。」と伝えました。
誰しも自分の気持ちを解って欲しいと思っています。夫婦でも・親子でも・友人にでも、自分を解ってもらいたいなら、自分が他の人を解りたいと思わないといけないと考えます。何故今嬉しいのか、悲しいのか、怒っているのかよく考えてみて、それを伝える力を養いたいと思います。
No Response to “人は何のために生きるか? Ⅱ”