実りの秋、収穫物に感謝する
~神が与えられる恵み~
地元の小学校では、春に5年生が体験学習で恐る恐る田んぼの中に入り、地域の方の指示に従って田植えを経験します。植えられた稲は周りの田んぼの稲に比べると少し不ぞろいに見えなくもないですが、順調に育ちやがて穂を出し始めます。
すると子供たちが作った案山子たちが狭い畑を囲むように乱立するようになります。これでは鳥たちも恐れをなして近づけないのではないかと思うほどです。
やがて、穂が実り収穫の時期を迎えます。子供たちはサンダルを履き、軍手をもって田んぼに向かい稲刈りをして、収穫物を学校に持ち帰ります。子供たちが収穫したお米で餅つきをして、出来たお餅を収穫の恵みに感謝をしつつみんなで食べます。
秋にはお米に限らず様々な作物の収穫を迎えます。各スーパーの店先にはミカンやカキやリンゴ、それにナシにクリなどのおいしそうな果物、はたまた様々な種類の野菜類に根菜類がずらりと並びます。少しダイエットを目指している私にとっては、ちょっと酷な季節となりました。
さて、教会では今年も11月24日に収穫を与えてくださる神に感謝する礼拝をおこないます。様々な作物は、それぞれ色や形が違い、それぞれに香りや味や食感の違いがあり、また、それぞれが私たちの身体に必要な栄養素を含んでいます。
そして、それら一つ一つが種を持ち、毎年季節ごとに途絶えずに作物を提供し続けてくれますが、その為には太陽の光、雨のなどの水、適度の温度、土中の養分や光合成のための二酸化炭素など諸々が備えられないと育ちません。
これらすべてが。偶然偶々うまい具合にこうなったなんで信じるのには、かなりの無理がある様に思います。これはどなたかがすべて計画して、その様に作らないと起こり得ないことだと思います。
教会で私たちはその創り主なるお方に感謝し、礼拝を捧げ、その集まった収穫物をかねてお世話になっている方々に届けて創造主なる神が与えてくださる恵みに感謝するようにしています。
神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。・・・神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。」創世記1:11、29
また、収穫感謝祭の始まりについて、ウキペディアは次のように説明しています。
感謝祭は、イギリスからマサチューセッツ州のプリマス植民地に移住したピルグリム・ファーザーズの最初の収穫を記念する行事であると一般的に信じられている。
ピルグリムがプリマスに到着した1620年の冬は大変厳しく、大勢の死者を出したが、翌年、近隣に居住していたインディアンのワンパノアグ族からトウモロコシなどの新大陸での作物の栽培知識の教授を得て生き延びられた。
1621年の秋は、特に収穫が多かったので、ピルグリムファーザーズはワンパノアグ族を招待して、神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいたことが始まりであるとされる。
私たちにどれほどの財力があったとしても、収穫物のない荒野や砂漠ではそれらのものは何にも役に立ちません。したがって、私たちに様々な美味しい食べ物を与えてくださる神様に感謝したいと思います。また、そのために労してくださった農家の方々やご両親にもあわせて感謝する時と致しましょう。
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