キャッシュレス化の波

公開済み 1月 12, 2020 by 管理人 in アドナイ・エレ

~祝福される使い方を~

先日、賽銭箱の横に決済端末を置き、キャッシュレスに対応する神社があるのを映像で見てびっくりしました。キャッシュレス時代がここまで来たかと驚き、考えさせられました。たぶん日本の教会ではまだそこまではないのではと思いますが、将来的にみんな現金を持ち歩かなくなったら、どうしたら良いか検討せざるを得なくなりそうです。

先日はテレビで、子供に上げるお年玉もキャッシュレスになるのではないかと話していました。「○○ちゃん、お年玉振り込んでおいたからね。」なんてことが近い将来起こるのかもしれません。そうなると、なんだか有り難味が薄れるような気がして寂しい思いがします。

私は牧師になる前に一般企業に勤めておりました。当時はまだ銀行振り込みがなかったので、給料袋というものがあり、給料日の終業時間前になると課長が一人一人を呼んで、「今月もお疲れさまでした。」と言って現金の入った給料袋を渡してくれました。

その給料袋を大切に抱えて、家に帰ると給料日を待っていた家族が一斉に「お父さん、ありがとう。」と言って迎えてくれます。そこで、おもむろに給料袋をカバンから取り出して、札束が入った袋を妻に渡すと「今月もお疲れさまでした。」と感謝の言葉が返ってきます。それを聞いて、よしまた頑張るぞと新たな力が湧いてきました。当時は多分、どこの家庭も同じような光景が見られたことでしょう。

ただ、会社には悪い先輩もいたようで、経理課の女性社員が「経理課で給料明細を書く用紙をもらって、自分で書き換えて沢山自分の小遣いにしている人がいるのよ」と話していました。また、大金を抱えて飲みに繰り出す連中もいて、現金支給にもそれなりの問題はありました。

それが、給料振り込みになると状況が一変しました。給料袋はなくなり、給料はそれぞれの銀行口座に振り込まれます。それを奥様方が下ろしに行って、ご主人をはじめ子供たちにお小遣いが渡されます。大金を持ち歩く危険性や不正の防止にはなったと思いますが、なんだか寂しい気がしました。

これがキャッシュレス化になり、現金を持ち歩かなくなると、無くす危険性はなくなり、かなり便利にはなると思いますが、経済管理にはそれなりに気を付けなければならないと思います。

これまでは、財布の中の現金が少なくなると、自然に出費を抑えるようになりました。また、給料日前になると、どこも皆節約をして過ごすようになるので、給料日のありがたみが増していたように思います。しかし、何時でもカードで買えるようになると、財布の中身が見えなくなるので、破産してしまう危険性が大きくなるのではないかと心配します。

また、私共は毎年行われる世界食料デー大会に合わせて繁華街で街頭募金をお願いしていて、通られる方々から温かい支援を頂いております。そして、それらは1年間少しずつそれぞれの家庭や教会で貯めて大会に持ってこられた募金と合わせて世界の飢餓対策のためと、一部は地元のフードバンクやホームレス支援団体に送金させていただいております。

こういう募金活動もやがては困難になり、みな振り込みになってしまうのではと、少し寂しい気がします。ただ、現金を使うにしても、カードを使うにしても、経済管理はしっかりしないといけないと思います。特に聖書には神に祝福される使い方が書かれていますので、忠実に実践していきたいと思います。現金・カードのどちらを選択するにしても、お互いにより良い使い方を心がけましょう。

「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。Ⅱコリント9:9~10

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