「乳癌を体験して-治療編」Ⅰ
~術後は無理しないで!~ 佐多多視子
4月20日にスタートした放射線治療が5月28日ついに無事終わりました。その治療方法に関しては順を追って、後日お知らせさせて頂きます。
私には以前から不思議に思うことがありました。それは、手術が成功したと言われていたのに、あの俳優さんやタレントさん、そして、知人のあの方も亡くなってしまわれたのは何故なのか?
この不思議に思っていることが、私を担当して下さっているO看護師への質問への答えで氷解しました。私が「他の病院では手術入院が全部で7日間だったり、東京では手術当日の退院もあると聞くのに、どうしてこの病院では手術前2日、そして手術日を含めてその後10日間、全部で12日も入院させるのですか?」と伺った時、彼女が「女性の場合一旦家に帰るとついつい動いてしまうのでね」と言われました。なるほど、退院後も全快しているわけではないので気を付けて生活しないといけないんだと思いました。
以上のことをふまえて、術後はよくよく気を付けて生活しないといけないなと思う一方、若い時は多少の病気は1晩寝れば治っていたし、何となく気力ではねのけられないものかなとも思いました。
さて手術直後は、リンパ節切開箇所がひどく傷んだのですが、徐々に痛さも薄れてきたのを良いことに、主人に翌日新聞を持ってきてもらいました。毎週土曜日は楽しみに数独を解いていたのでやってみました。しかし、たった1問解いただけなのに、これがいけませんでした。癌があった所の切開箇所は全く痛みはなく、リンパ節切開部分も日々痛みは和らいでいくのに、術後3日目から額がものすごく痛くなり主治医の先生に痛み止めを処方していただきました。すなわち、持病(副鼻腔炎治療中)等の一番弱い所に問題が生じるのだと思います。
こんな馬鹿な事は2度とやるまいと決心して何とか元気に退院いたしました。家では洗濯干しは全部主人がしてくれて、朝・昼・晩の配膳と後片付け(茶碗洗い、食器棚に戻すetc)も主人が全部してくれました。食事の準備は野菜の切り方の見本を作って、あとは主人がしてくれました。
※これだけ気を付けていてもアクシデントが起りました。それに関しては次回報告します。
日が経ってくると一緒に洗濯物を干したり、調理は2人で台所でしたりして、今は術後5カ月で朝食・昼食の片づけは私がするようになりました。(夕食後の後片付けだけはまだ主人にしてもらっています。)この間に牧師夫人としてのこれまでの仕事(手記を書く等も含む)を続けつつ、放射線治療25回の通院を続けました。
入院中、術前相部屋だった人に会った時、術後個室から相部屋に移ろうとして(術日から数日間は個室に入る人が多い)、後片付けを1度にやってしまって吐いてしまったと言っていました。私は3度に分けて少し片づけてしばらく横になって、また片付けてという風にしていたので、そこのところは良かったと思います。
また、ケロイドを防ぐためのスキンテープをはがすとき、出血したという人もいました。テープのはがし方は面倒でも周りから少しずつはがしていくと大丈夫です。
退院後は体力・筋力・免疫力など、年齢や生活様式などによって違いますので、身体と相談しながら徐々につけていかなければいけないと思います。
退院後ほぼ1カ月で再診察があり、そこで治療方法が決まります。私は2月6日がその日で、久しぶりに懐かしい○○先生とH看護師にお会いできました。ヤッホー‼
幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。【主】はわざわいの日にその人を助け出される。・・・ 【主】は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。詩篇41:1,3
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