「乳癌を体験して-治療編」Ⅱ
佐多多視子
2月6日;
久しぶりに懐かしい○○先生とH看護師にお会いできました。
治療方法については先生からの説明では「佐多さんの癌はステージⅠの浸潤で2、5㎝になっていましたので、ホルモン剤を毎朝1錠5年間服用してもらい、放射線治療を25回してもらいます。骨粗鬆症の疑いはないので、(12月9日に骨密度を測った理由がこれで解りました。)アナストロゾールで良いと思います。これを服用すると太ってきますので、今の体重を維持してください。」と言われました。
え~っ‼これ以上太りたくない…。術後サポートでの栄養学のお話を思い出しながら食生活を頑張るぞと決意しました。私が「朝は和食にしよう」と言うと、主人はパン大好き人間なので反対しましたが決行する事にしました。
また、病院から頂いた「コミュニケーションの道しるべ」にも書いてありましたが、私は以前からそれまでの経過報告と質問を紙に書いて持っていくようにしていました。今は他に耳鼻科にも1年半ほど通っていますが、必ずそうしています。いざお医者さんを前にすると思っていることの10分の1も話せなかったりしますので必ず書いて行くようにしたのです。
※前回の治療編Ⅰのアクシデントについての説明ですが、退院後1週間すると左胸が固くなり熱を帯びてきたので市販の湿布薬を1日2~3回貼り替えて痛み止めも服用しました。これも1週間程度で鎮静化してきましたと書いて行きました。
あんなに周りの人に気を遣ってもらって、自分でも気を付けていたのに、また手術はこの上なく成功し、手厚く看護もしていただいたのに、とても申し訳なく思い何故こうなったのかを考えてみました。
多分、こうだと思います。入院前10年間認知症の義母を介護し、義母の死亡後、主人が介護疲れで5年間にインフルエンザ2回、それに脳幹梗塞で入院、さらに腰痛を2回して(1度発症すると毎日リハビリ数ケ月の通院治療)、やっと普通の暮らしができるようになったかと思ったら、私の癌が見つかりました。
主人の病中に私の癌が発見できても大変でしたので、時期的にはそれで良かったのですが、介護と看病とで私の心身は私の受け止められる限界を超えてしまったんだと思います。身体の芯というか幹というかそこが弱くなっていたんだと思いました。
ですから、発見前や入院前にどういう生活をしてきたのかという事も術後に影響するのだと思いました。しかし、この身体の芯or幹も放射線治療を受けるにつれて日に日に内側から元気になっていくのを感じました。
私が書いて持って行った質問に「左腕を下にして寝返りをしても良いですか?」とか、「ラジオ体操をしても良いですか?」とかありましたが、どちらも良いですとのことでした。説明の最後に切除した直径6㎝の組織をパソコン画像で見せてくださいました。
また、帰り際に先生が私の経過報告を読みながら「痛み止めを出しておきましょうか」と言われましたが、痛みはその時は治まっていましたし、また先生が「痛み止めは癖になるからなぁ」と言っておられたので、「いえ、要りません」と答えました。心配な方は頂いてもよいと思います。
帰りながら、たったあれだけの切開傷なのに直径6㎝大の組織をどうやって取り出せたんだろうねぇ、すごいねぇと主人と話しました。
次回は3月5日に本館での診察を終え、通りの向かいにある放射線科に移動して、そこの主治医の〇先生にお会いしたお話です。
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。・・・神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。伝道者3:1,11
No Response to “「乳癌を体験して-治療編」Ⅱ”