世界の飢餓をなくそう

公開済み 1月 24, 2021 by 管理人 in アドナイ・エレ

~え~っ、日本で餓死?~

先日、「世界食料デー」鹿児島大会の実行委員会がリモート会議で行われました。コロナ禍の中、なかなか一斉に集まることができなくなり、このところネットを通しての会議が続いております。

昨年は、第23回「世界食料デー」鹿児島大会が行われる予定でしたが、コロナ禍の波に飲み込まれて、例年のように鹿児島市の繁華街での街頭募金や一堂に会しての鹿児島大会を実施することができませんでした。

世界中がコロナ感染の拡大によって、さらにさらに貧困化が進む中、大会を中止することは何とか避けたい思いでしたが、このような状況下で強行することには問題が多いと判断し、大会や街頭募金を中止にして、教会や幼稚園、その他に飢餓のビデオを送り、それを見ていただいて募金を呼びかけていただくことに致しました。

それが、先日のリモート会議における会計からの報告によると、例年以上の募金が集まったという事で驚きつつ感謝しました。実は、実行委員会では極端に募金が減ってしまうのではないかと心配しておりましたので、それらが取り越し苦労に終わったことに感謝しました。また、皆さんの優しさを心から有難く思いました。

また、昨年は「世界の食糧事情と飢餓」と題しての出前授業もコロナ禍でできないものと諦めておりましたが、一つの小学校から是非今年も授業を行って欲しいとの要請をいただき、体育館でソーシャルディスタンスを取りながらお話しさせていただきました。このことにも心から感謝いたします。

教会での主の祈りの中に「日ごとの食物をお与えください。」とありますが、私は自分でのお祈りの時は「世界中の食べられない人・飢餓の国の人々や難民として国や土地を追われて難民キャンプ等にいて食べられない人々、親を亡くし道端で寝泊りしながら生きているストリートチルドレンの子供たち、そして世界中のホームレスの人々が今日の食事を食べられますように。」とお祈りをしています。

私たちの小さい頃、今から60~70年前の日本はまだまだ貧しくて、今のように満足に好きなものを食べられませんでした。偶に栄養失調の子もいました。私もお腹がすいたら、藪の中にある野イチゴやグミの実、また桑の実等を取って食べたりしていました。

しかし、いま日本は飽食の時代で、ファミリーレストラン等に家族で行ってたくさんの美味しい物をお腹いっぱい食べられています。(この頃はコロナ禍で外食が減り、家での食事に変わってきているように思いますが、それでも十分食べられています。)ですから、飢餓の祈りの中に日本のことは念頭にありませんでした。

それなのに、昨年ショッキングなニュースが目に止まりました。それは40代と80代の女性の親子が家の中で餓死しているのが見つかったというニュースです。解剖の結果お腹には全く食べ物が残っておらず、1カ月以上食事を食べられなくて餓死した模様だというのです。

日本のように福祉が充実している国で、・・・餓死?・・・何で?そんなに貧しいのだったら生活保護を受給したら良かったのにと不思議に思いました。しかし、先日同じように貧しい人に生活保護の受給を進めたら、「滅相もない、こんな田舎でそんなことをしたらやっていけない。」と言われたのです。まだまだ、生活保護受給者に対する偏見がひどくて、せっかくの制度もうまく活用できていない状況もあるんだなと思いました。

全ての人が食べていける世界が1日も早く実現するように心からお祈りします。

貧しい者が国のうちから絶えることはないであろうから、私はあなたに命じて言う。「国のうちにいるあなたの兄弟の悩んでいる者と貧しい者に、必ずあなたの手を開かなければならない。」申命記15:11



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