花の日

公開済み 6月 13, 2021 by 管理人 in アドナイ・エレ

~このきれいな花は誰が作った?~

本日(6/13)は教会の花の日です。花の日( Flower Day)は、アメリカ合衆国に発祥するプロテスタント教会の行事で、毎年6月第2日曜日に行われます。アメリカでは子供たちが花を持ち寄って教会堂を飾り付けて礼拝を行い、またその花を持って病人などを慰問するのですが、私たちの教会は教会員が持ち寄った花を、かねてお世話になっている交番や小・中学校等に届けるようにしております。

 この時期はたくさんの花々が咲き誇る素敵な季節で、私たちは綺麗な色とりどりの花々に囲まれて沢山の慰めを受けます。毎年入学式時に咲き誇り、新入生を温かく迎えてくれる白やピンクのサクラの花々。赤・白・黄色の花を咲かせるチューリップ。気品が漂う真っ白い百合の花。母の日のカーネーションに、黄色いフリージアの花、色とりどりのバラの花に、雨に映えるアジサイ等々数えだしたら切りがありません。

近頃は朝の交通見守りをしている私に、鮮やかな青紫色の朝顔の花を持ってきて渡してくれる1年生の女の子の一団がいます。彼女たちは道端に咲いている朝顔の綺麗さに誘われ、つい花を摘んで歩き出しては見たものの、その内持て余して街頭でいつも会う私を見つけて渡してくれたのだろうと思いますが、(長年やってるとこういうことは良くあるので、大体想像がつきます)それを無碍に捨てることもできずに、片手に旗を持ち、もう一方に朝顔の花をもって見守りを続けます。子供たちから「おじちゃんどうして花持ってるの?」と聞かれると「1年生の女の子が『ハイ、あげる』って渡していったの。」と答えます。

それにしても、どうしてこんなに奇麗な花々が地球上に存在するのだろう。ヒマワリやチューリップから道端の雑草までが小さな花を咲かせて、私たちを慰めてくれます。私たちの知っている火星や木星、それに先日ハヤブサ2号が着陸して話題を呼んだ小惑星「りゅうぐう」などは、ただ石がごつごつした殺風景な星でした。私たちの最も身近な月でさえも、このような花が咲く景色を見ることは全くできません。

地球だけにたまたまサクラの花やユリの花、バラなどの綺麗な花々、鮮やかな色や洗練された花びらを持った花が咲いたのでしょうか。偶然、これらの花々は土の中から生まれてきたのでしょうか。

これらの花が咲くためには、太陽の光や熱はもちろん、必要な栄養素として水素(H)と酸素(O)、それらは雨によって賄われます。炭素(C)は空気中の二酸化炭素からとられます。その他の肥料の3大栄養素の窒素(N)・リン酸(P)・カリウム(K)はどういうわけか土の中に入っています。全てのものが作用してうまくいっているように思います。

しかし、これらのことを偶然、たまたまで済ますことは、台風の風で飛ばされた木々で家が偶然できるほどの奇跡です。それなのに、あんなに奇麗ないろいろな色や形をした様々な花々が、季節に応じて咲き誇るのはそれこそ奇跡的なことだと思います。

私の場合、聖書を読んで創造主なる神様がおられて、人を愛し、人のためにすべての環境を備えられたという事によって合点がいきました。

神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。ローマ1:20~21

聖書には、神様は人を愛し、人を地上に置かれたときに人のためにすべてを創り備えてくださったとあります。これらの被造物を見たときに、私たちに対する神の愛が示されるようにしておられるのです。自然の素晴らしさを見る時に、私たちは神の深い愛を感じられます。

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