出来ないことはない
~卓球は無理だろ~
9月5日、人々に諦めないで挑戦することの重要性を教えてくれた、東京パラリンピックが大きな感動の内に閉幕しました。障害を持ちながら前向きに活動しておられるパラリンピィアンの方々のお姿に勇気づけられ、生きる活力をいただいた人も多かったと思います。
パラリンピックに出場された全ての選手の方々が生き生きと競技に挑戦する姿に、私たちが持つ障害者への概念は完全に払拭され、弱くて助けを必要とした人ではなく、私たちより力強さと、忍耐力や諦めない姿勢を持っておられることに、多くを教えられました。本日は中でも強烈に印象に残った選手を数人だけ紹介させて頂こうと思います。
まず、男子100mバタフライで金メダル、100m平泳ぎで銀メダルを獲得した木村敬一選手。彼は先天性疾患のため2歳の時失明しました。
スポーツ選手にとって一流選手が競技する姿を見て、イメージをもって練習に取り組むことによって能力を開花させていきます。例えば、体操競技では、ある人が新しい技を完成させるのに何年もかかって訓練を続け、やっと成功させた新しい技でも、1年経つと高校生ができるようになってしまいます。それは一流選手の技を見て、イメージトレーニングができるからです。
それなのに、2歳で視力がなくなり、人が泳いでいる姿さえも見たことがない水泳競技をどのように習得したのでしょうか。彼はクロール、平泳ぎ、バタフライ、背泳すべてやってのけます。特に、彼が金メダルを取ったバタフライは、私も試しにやってみたことがありますが、前に進むどころか後ろに進んでしまいます。それなのにどうして正確な泳ぎができるようになったのか、指導者はどのように教えられたのか、あまりにも不思議で理解ができません。間違いなくその背後には並々ならぬご苦労があったであろうことは想像に難くありません。
また、今回の東京パラリンピックで100m、50m背泳ぎでそれぞれ銀メダルを獲得し、最年少メダリストとなった中学3年生の山田美幸選手、彼女は生まれた時から両腕がなく両足にも障害があり、左右の長さが違います。それでも、足で車いすを操作し、マスクの着脱も足でするということです。
彼女は5歳の時小児喘息を患い、それの治療のために水泳を始めました。地上と違い水中では自由に体を動かせるので、水泳が大好きになりました。しかし、彼女を教えることになった野田コーチは不安を感じましたが、「教える私が怖がってはいけない、必ず水に浮く」と信じて取り組みました。彼女は両足で水をけって進むのですが、長さが違うので、真っすぐ進むように長い左足は横に蹴り、短い右足は縦に蹴るという彼女が独自に編み出した泳法で、両腕がなくても両肩を揺らして推進力につなげて泳ぎ、メダルを獲得しました。
それから、エジプトのイブラヒーム エルフセイニ・ハマドトゥ選手、彼は10歳の時列車事故で両腕を失いました。それでも活発な彼はサッカーに打ち込んでいましたが、ある時友人から「卓球はできないだろう」と言われたのがきっかけで、ラケットを口にくわえて首を振って左右に打ち分けるプレーを編み出しました。サーブは足の指でボールを挟んで器用に放り上げトスをしました。始めた当初は10分で歯の痛みに耐えられなくなったということですが、痛みに慣れるまで毎日数時間の練習を重ね、サーブトスもできるようになるまで大変な苦労があったようです。大会での彼の競技を見ていると、相手が打ち返してきた球を口にくわえたラケットで素早く打ち返し、顔を振って様々に変化したボールをも相手コートに放り込んでいました。
試合のあとハマドトゥ選手は「不可能はないということを証明したい。できないことはないと世界中の人に知ってほしい」と話していました。
「出来る・出来る、人にはどんなことでもできる。」やる前から諦めてしまうことが問題だ。全能の神様を知っている私たちは、彼らから諦めないで挑戦することを教えられました。
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。ピリピ4:13
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