世界の食料問題を考える
~世界食料デー~
今年もまた世界食料デー(10/16)がやってきました。この日は国連食糧農業機関(FAO)で創設された日で、1979年のFAO総会の決議にもとづき、国連が10月16日を「世界食料デー」と定め、1981年より世界共通の日として制定されました。そして、10月の1か月間を「世界食料デー月間」と定め、食べ物が無くて飢えて亡くなる人がいなくなる世界を目指してみんなで助け会いましょうと提唱しているものです。
また、2015年9月の国連サミットで採択された「SDGs・持続可能な開発目標)」の目標第2に掲げられているものなので、多くの人に関心を思っていただきたいと思っています。
毎年、FAOの加盟国196か国と、EU(欧州連合)の国々では、世界食料デーに食料問題を考えるさまざまなイベント等が開催されています。しかし、残念ながら今年も日本においては政府やマスコミによる食料デーに関する報道はほとんどされていませんでした。
世界では飢饉によるものばかりでなく、戦争や紛争によって土地や家を追われた難民等、毎日食べる物がなくて苦しんでいる人が8億1500万人もいると言われています。そして、今年はさらに新型コロナ感染拡大によって苦しむ人が増えそうな状況です。そして、飢餓に苦しむ人々の中で、5億5000万人以上が子どもたちです。5秒に1人、1分間に12人の小さい子どもたちの命が飢餓によって失われています。
しかし、実は食料は世界中の人々が十分食べていけるほど生産されています。それなのに何故飢餓がなくならないのかというと、日本のような一部の裕福な先進国には溢れるほどの食料が集められているのに対して、貧しい国へはほとんど渡っていないという分配の不平等の問題があるからです。
今、世界の先進国では、食べ残しや賞味期限切れによる食料廃棄等が問題になっています。日本においても、家庭での食べ残し、学校給食での残食、ホテルやレストランでの残飯、コンビニやデパート、スーパーなどでの賞味期限切れによる食料廃棄が年間1728万トンに上るという事です。一方、国連世界食糧計画が飢える人々に支援した食料は年間320万トンという事なので、その何倍もの食べ物が日本中で無駄に捨てられていることになります。
それで、私たち一人一人が飢餓の国の人々を少し意識するだけで、食べ物を簡単に廃棄したり、ぜいたくな食べ方をしたりしなくなるように思います。そして、私たちが普段の生活で少し気を付けて、無駄をなくすようにするだけで食糧問題は随分改善されるように思います。
そこで、私どもの教会では今年も10月16日に一番近い日曜日(10/17)に世界食料デーミニ集会を開いて、世界の飢餓について考える機会とし、11月末までその為の募金活動を行っています。集められた募金は世界食料デー鹿児島大会事務局に送られ、それが日本国際飢餓対策機構・ハンガーゼロを通して世界の飢餓の国々に送られるようになっています。
あなたのどの町囲みのうちででも、あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。・・・必ず彼に与えなさい。また与えるとき、心に未練を持ってはならない。このことのために、あなたの神、【主】は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる。貧しい者が国のうちから絶えることはないであろうから、私はあなたに命じて言う。「国のうちにいるあなたの兄弟の悩んでいる者と貧しい者に、必ずあなたの手を開かなければならない。」申命記15:7,10~11
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