悔いのない確かな生き方

公開済み 2月 6, 2022 by 管理人 in アドナイ・エレ

~あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。~

先日の隣町での葬儀の折、人は死について真剣に見つめることによって、はじめて悔いのない確かな生き方ができるという事をお話しさせていただきました。

フランスのことわざに「人には見つめることが出来ないものが2つある。ひとつは太陽。もうひとつは死である。」とあります。

しかし、ご存知のように死は全ての人にとって避けることの出来ない現実であり、だれもが目をそらすことの出来ない事実であります。私たちが正しく死を見つめるとき、初めて、真実の生き方がわかってきます。

三浦綾子さんの書かれた小説『塩狩峠」の中に、主人公のお父様が亡くなられたときの遺書が出てまいります。

そこには「私があなた方に成したこと、また話したことの一つ一つが私の遺言だと思ってほしい。わたしはそのようなつもりで生きてきたから」というくだりがありますが、あのような確かな生き方が出来るのは、クリスチャンであるお父様が、創造主なる神様の存在を信じ、死に向きあって真実に生きてこられたゆえであると思います。

紀元前中東に、ソロモン王という偉大な王がいました。彼は「栄華を極めた」と言われ、彼の時代、周りの国々から莫大な金の貢物が入ってきたので、銀は値打ちがなかったとまで言われています。

彼は莫大な財力を持って贅沢の限りと快楽の限りを尽くしたと言っています。さらに、彼は絶大な権力によって自国の人々だけでなく、周りの国々を支配しました。

しかし、それらすべてが「空しく風を捉えるようなものだった」と述懐しています。それは、人がどれだけ権力を得、財力をもって贅沢できても、人間が本来あるべき姿に戻るまでは満足することはできないという事なのです。

我が国においても、豊臣秀吉のように、名もなき農家の息子であった彼が、努力の果てに天下人にまで上り詰めた話は皆のあこがれの的になっておりますが、彼の辞世の句も同じように「露とおき露と消えぬる我が身かな、浪花のことは夢のまた夢」でした。彼の心境もソロモンのそれと全く一緒であったことが分かります。

人はみな本来あるべき姿に立ち返るまでは、どれほど成功して人々に認められ、贅沢できても満足はできないという事なのです。そして、そのあるべき姿というのは、私たちを造り生かしておられる創造者なる神様を知って、その前で神の義を求めて日々を過ごすことです。

ソロモン王が長い探求の後に達した結論は、

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。伝道者の書12:1

そして、人には一度死ぬことと、死んだ後に神の裁きを受けることが定められています。あなたには死の備えが出来ていますか。私たちの人生は死ですべてが終わるわけではありません。死は朽ちる存在の肉を脱ぎ捨てるだけです。

ソロモン王は、最後に次のように言って彼の書を結んでいます。

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。伝道者の書12:13~14

ここでわたしたちに必要なことは、『人間の本来あるべき姿』に帰ること。つまり、わたしたちを造り、生かしておられる神様の存在を信じることです。そうして初めて死を恐れない悔いのない確かな人生を歩むことができるのです。

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