父の日「お父さんに感謝する日」

公開済み 6月 12, 2022 by 管理人 in アドナイ・エレ

~お父さん方に日ごろのお働きに感謝します。~

6月第3日曜日(今年は6/19)は父の日です。父の日は母の日と同じくアメリカの教会が発祥の祝日です。父の日は、普段なかなか改まって感謝を表せないお父さんに、その思いを伝える日として制定されました。

その起源はアメリカのワシントン州に、ソノラ・スマート・ドッドという女性がいて、ソノラさんの父親ウィリアム・ジャクソン・スマート氏が、男手一つでソノラさんを含む6人の子どもたちを育て上げました。末っ子のソノラさんは、深い愛情を注いでくれる父をとても敬愛していました。

さて、1909年に教会で行われた母の日のお祝いに参加していたソノラさんは「なぜ、母の日があるのに、父の日はないのだろうか?」と疑問に思い、地元の教会の牧師に父の日を作りたいと相談しました。教会の牧師は彼女の願いを聞いて、すぐ父の日を始めましたが、父の日は母の日のようにはなかなか普及・定着しないで、1972年になってやっと正式にアメリカの祝日として父の日が認定されました。

その成立の過程を見て、どこの国でも、父親は母親に比べると、どうしても影が薄い存在なのだなと思いました。以前ガッツ石松さんが、「父親が亡くなった時より母親が亡くなった時の方が80倍悲しかった。」とテレビで言っておられましたが、80倍はともかくとして、なるほどと思いました。

従来は父親が外で働いて、母親が専業主婦として家にいる機会が多かったこともあって、母親たちが直接子供たちに愛をもって接する機会が多いのに対して、父親は接する機会が少ないだけでなく、不器用で子供たちになかなかうまく愛を表現することもできないので、存在が軽くなったのではないかと思います。

しかし、今はお母さん方も仕事を持って外で働くことが増える一方で、お父さん方にも昔に比べて子供たちに愛情を注ぐ人が多くなり、父親に対する子供たちの感覚も昔に比べたら随分違ってきているように思いますが、当然ながら、まだまだ母親の域には達しえません。

さて、私の父は戦時中、満洲の鴨緑江(中国と北朝鮮の間に流れる大河)のダム建設の技師として働いていました。終戦を迎え、突然進行してきたソ連軍に蹂躙されながらも、苦労しながら母と1歳の兄を連れ、さらに30人ほどの帰還家族のリーダーとして命からがら、日本に引き揚げてきました。その状況を書き残したのがあったので、それを冊子にして保管しました。

その後、父は土木技師として不便な田舎に橋や道路を作ることを生き甲斐としてきたこともあって、私たち家族は田舎暮らしを余儀なくされました。その父も72歳で他界するのですが、私はすでにその年齢を超えてしまいました。

今、私の3人の子供たちと孫たちはみな関東地方で生活していて、なかなか会う機会も少なくなってきているので寂しいですが、先日3男から16日か17日ごろ父の日のプレゼントとしての荷物が届くからとのメールが、ペコリと頭を下げたと思われる絵文字と一緒に送られてきました。便利な世の中になったな~と思います。

 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。エペソ6:1~3

あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの年老いた母をさげすんではならない。真理を買え。それを売ってはならない。知恵と訓戒と悟りも。正しい者の父は大いに楽しみ、知恵のある子を生んだ者はその子を喜ぶ。あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。箴言23:22~25

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