私たちの常識と真理のギャップ
~ 鶏が先か、卵が先か。果物の木が先か、種が先か。~
私たちは自分の常識を超えた事に関しては、なかなか受け入れることができないものだと思います。例えば、地球は丸いという真理に対して、昔の人は、もし地球が丸かったら海の水はどうしてこぼれ出さないんだと思ったことでしょう。
ニュートンが万有引力の法則を発見しても、にわかには信じられなかったことでしょう。多分、多くの人はリンゴの実が下に落ちるのは当たり前だ。そんなの常識だと思ったことでしょう。したがって、引力によって海の水がこぼれ出さないで地球の表面を覆っていることができるのだという真理を受け入れるのはなかなか難しいことだったと思います。
しかし、私は小さい頃、海の近くで育ったので、遠くから来る船がまず帆先が見えて、それから甲板と少しずつ船の上の方から見えてくるのを見ていたので、それによって地球は丸いんだと確信することができました。
神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。神は水を濃い雲の中に包まれるが、その下の雲は裂けない。ヨブ記26:7~8
紀元前の旧約聖書に地球が空中に浮いてるような表現がありますが、当時は何のことか分からなかったことでしょう。そして、雲の中には大量の水が包まれているが、その雲が裂けて水がいっきに溢れ出すことはないとも言っています。しかし、これが真理なのです。
「真理」とは、真実であり、事実そのものなんです。例えば、コペルニクスは地動説を唱えたことで有名ですが、実は紀元前3世紀にアリスタルコスと言う人が、地球は自転して他の惑星と太陽の周りをまわっていると発表したそうです。しかし、周りの人の常識にはそういう発想はなく、拒否されました。周りの人のレベルがそこまで至っていなかったのです。そして、1800年以上も経った16世紀に漸くコペルニクスが地動説を唱えました。しかし、これも地球が中心で、太陽をはじめその他の星が地球の周りをまわっているとの常識を持っていた人々は、それを受け入れませんでした。そして、17世紀になってオランダで望遠鏡が発明されました。それでガリレオ・ガリレイは自作の望遠鏡を作り、それで天体を観察して、地動説が正しいことを証明しましたが、それでも中々すんなりと地球が動いているとは受け入れられませんでした。
しかし、銀河系宇宙は太陽が中心になり、地球は自転しながらそれを回っているというのが真理です。現実なのです。動かし難い事実なのです。それなのに、当時の人々の常識がその真理を受け入れることを拒んだのでした。
さて、今は梅雨です。連日雨が降り続くので、正直少しうんざりします。しかし、農家の方にとっては恵みの雨だと思います。田植えを終えた田んぼにたっぷり水が注がれて、稲が成長していきます。そして、秋にはたくさんの穂をつけるので収穫します。
そして、それが私たちの食料になります。それだけではなく私たちの周りには沢山の美味しくて栄養分を含む作物や果物が溢れています。これらの作物をごく当たり前に種をまき収穫して食べていますが、それらの食べ物はみな私たちの健康のためにすべて神様が提供して下さったものを使用しているだけなのです。
鶏が先か卵が先か。果物の木が先にあったのか、種から木が生え出たのか。聖書は初めに神がすべての環境を創られたと言っています。偶然これらのものが出来上がることはありません。一度、今までの堅い常識にとらわれず、何が真理か考えてみませんか。
それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。ローマ1:19~21
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