敬老の日
~白髪は光栄の冠~
今年も敬老の日(9/19)がやってきます。教会では毎年敬老感謝礼拝をおこない、礼拝後にささやかなお食事会を行ってまいりましたが、残念ながら今年もコロナ禍でお食事会は中止せざる得なくなりました。
私たちがこちら(喜入町)に引っ越してくる前に住んでいた地域では、毎年近くの温泉センターで敬老感謝の集まりが行われていて、当時私はまだ若かったので、お世話係として一度だけ参加したことがありました。
そこでは、高齢者の方々にお食事がふるまわれ、皆楽しそうに談笑しながらお食事を美味しそうに食べておられました。そして、食事が終わると誰からともなく舞台に上がられて、踊りを始めたり、歌を歌いだしたりしておられて、皆結構楽しんでおられるように思いました。そして、帰りにはちょっとしたお土産をいただいて喜んで帰って行かれました。
しかし、中にはこんなことをしたりお土産を配ったりしないで、その分現金で渡して欲しいと言われる方もおられました。年金生活で経済的に大変なのだと思いますが、年に一度ぐらいは、町内会の人々の感謝の思いを素直に受けられても良いのではと思いました。
私自身も、若い若いと思ってきましたが、あっという間に高齢者の域に入ってきて、後1年数カ月で後期高齢者になろうとしています。それでも、スーパーマーケット等の駐車場で、妻から高齢者枠の所に止めたらと言われても、いまだに少し躊躇する自分がいます。ハハハどこから見ても立派な高齢者なのに!
敬老の日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としていると国民の祝日に関する法律に制定されていますので、高齢者が様々な形で社会に貢献してこられたことに感謝を表すことが大切だと思います。
高齢者の中には、戦争を体験された方々も、まだまだたくさん元気でいらっしゃいます。戦後の焼け野原で極貧の生活を体験され、不便な思いをされながら工夫して今の快適な生活の礎を築いてこられた方々です。
私自身の小さい頃の環境も水道がなく、大人たちは数軒先の共同井戸まで水汲みに行っていました。しかし、海が近かったので井戸水は飲み水として使えなかったので、小学生の子供たちは少し先の小学校まで、飲み水を汲みに行っていました。
当然、今みたいに冷蔵庫や洗濯機、炊飯器やガスレンジ、その他いま私たちの周りに普通にある電化製品などほぼありませんでした。今の人たちがそのような電化製品をまったく使わないで1日でも生活したら、その大変さが痛いほど分かると思います。
そのような中で苦労しながら生活をし、子育てをしてこられた高齢者たちのご苦労の上に、今の私たちの快適な生活があることを思って、感謝いたしましょう。
私たち夫婦には、敬老の日に孫たちから「おじいちゃん、おばあちゃん何時までもお元気で!とか、大大だ~い好き」とかの絵入りの手紙が送られてきて元気をもらいます。
また、日本で敬老会が始まった当初は、55歳以上の人がその対象者だったようですが、現在50代の人を老人呼ばわりしたら、大変なことです。今住んでいる地域には80代90代の人がたくさん元気に生活しておられるので、私のような者はまだまだ若輩者と見られていそうです。
そこで、この機会にそのような高齢まで生きてこられ、日本社会に貢献してこられた方々を心からお祝いし、感謝いたしましょう。
しらがは光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。箴言16:31
若い男の光栄は彼らの力。年寄りの飾りはそのしらが。箴言20:29
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