小さな一つの判断が大きな結果に
~小事に忠実なれ~
今日のお話は先週の礼拝メッセージで取り上げたことの一部です。それは、たった一つの出来心や間違った判断が、今まで積み上げてきた善行のすべてを不意にしてしまうことがあるので、兼ねてから自分の行動にはいつも最善の注意を払うようにしましょうということです。
それは、大きな壺で高価な香油を作っている途中にハエが入り込んで、そこで死んでしまったら、すべての香油が駄目になってしまい使い物になりません。たった1匹のハエが全てを駄目にしてしまうのと一緒で、一つの愚行が取り返しのつかないことになると聖書は教えます。
私が小学生の頃、僻地の公営住宅に住んでいました。公営住宅と言えども、当時は家々に水道の設備がありませんでした。それで子供たちは学校が終わると、上級生はバケツ、下級生は小瓶をもって小学校まで水くみに行きました。
学校の水道で水を汲んだ帰り道、学校の裏にスイカ畑があり、そこで肥やしを柄の長いひしゃくで撒いているおじさんがいました。当時の肥やしは人糞です。もし、学校で先ほど汲んだバケツの中に、その肥やしが1滴入り込んだら、どうでしょう?たった1滴だからまあいいか、折角ここまで持って来たんだから・・とはなりません。1滴ですべてが駄目になってしまいます。すぐバケツの水をそこに捨てて、もう一度学校に戻って、バケツの中を何度も洗い直して、新しく綺麗な水を汲むことでしょう。
そのように、たった一つのことが全てを駄目にしてしまうということは良くあることなのです。わたしは牧師になる前に、会社に勤めていたことがありました。そこで、口を酸っぱく言われたことは「どんな時でも、皆会社の看板を背負っているんだから、そのつもりで生活しなさい。」でした。
例えば、社員の一人が勤務時間中でなくても、何か問題を起こしたら、本人だけでなく会社のイメージダウンになってしまいます。たった一人の悪事によって、今までコツコツ作り上げてきた会社の信用がガタ落ちしてしまいます。だから、会社はそれを心配していたのです。
これはもちろん個人にも当てはまることです。真面目に正しく生きて来ていても、たった一つの愚行が今まで作り上げてきたイメージを一瞬でぶち壊してしまいます。「え~、あの人そんな人だったんだ。」となってしまうのです。
このコロナ禍で、人の口車に乗ってコロナの給付金を不正受給して、それがばれてすべての信用を失った人がたくさんいます。国家公務員から学生さんまで、多くの人がそれにかかわり仕事をやめ、学校をやめ。これからは犯罪者として生きていかなければなりません。少しの欲が人生を狂わしてしまったのです。
また、先日ドリフターズの中本工事さんが亡くなられたという悲しいニュースが飛び込んできました。真面目で優しい人だったと親しい人々が言っておられましたが、死因が横断歩道でない所を横切っていたということがニュースで流されただけで、そのイメージが崩れただけでなく、少しの判断ミスで人生まで終わらせてしまいました。
しかし、このようなことは私たち、誰にもありがちなことなのです。横断歩道が少し先だったりすると、「あそこまで行くのは面倒だし、ここは車もあまり通らない、渡ってしまえ。」と間違った選択をしてしまうものです。しかし、たった一つの愚行がそれまでの全ての真面目な努力を水の泡にしてしまいます。
いつでも、どこでも、誠実にまじめに生きていきたいものです。私たちの判断を狂わすのは、欲望に走ろうとする弱さ、楽をしようとする弱さ、ごまかせると思う考えの甘さ等の思いです。
死んだはえは、調合した香油を臭くし、発酵させる。少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。・・・愚か者が道を行くとき、思慮に欠けている。自分が愚かであることを、みなに知らせる。伝道者の書10:1、3
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