新しい年を迎えて
~ まず人生ののゴールをはっきり決めて ~
さて、「1年の計は元旦にあり」との諺がありますが、1年をスタートするに当たって、しっかりした年間計画を立ててスタートすることは良いことだと思います。竹に節ができることによって、更なる成長が促されるように、新年に立てる計画次第で1年の成否が決定すると言われます。
さて、皆さんの立てる新年の計画には様々なものがあると思います。小学生だったら「今年は、算数で100点を取れるように頑張ろう。」とか「運動会で1等賞をとれるように頑張ろう。」とか、かわいい目標を立てる子たちがいると思います。
また、中学生になると「全体で成績が何番以内になれるように頑張る。」とか、「○○高校に入れるように頑張る。」とか、「部活頑張る。」とか、もっと大きな目標が立てられます。
そうして、高校生や大学生になると、「看護師になりたい。」「医者になりたい。」「警察官・消防士になりたい。」「一流企業に入りたい。」と、さらに大きな目標を持ちます。
また、お正月に行われるニューイヤー駅伝や箱根駅伝を見て、あそこで走る選手になりたいとか、プロ野球選手やプロのサッカー選手になりたいと思われる人もおられるでしょう。そして、それに向かって涙ぐましい努力を始められる人も少なくないことでしょう。
しかし、「看護師になれた」「医者になれた」「一流企業には入れた」とか、または念願のプロスポーツ選手になれたからと言って、それで人生が終わるわけではありません。人生のゴールはまだまだずっと先にあります。
そこで大切なことは、1年の計画や将来の計画を作る時には、まずゴールをはっきり決めて、それに照準に合わせて、年間計画を立てて努力を始めないといけないと言う事です。そうしないと、全く見当違いの方向に行ってしまうことになりかねません。
それでは、人生の目的・ゴールをどこに置いたらいいのでしょうか。聖書ではすべての人が最終的に神の前に立って人生の総括をさせられると教えています。
若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。しかし、これらすべての事において、あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。伝道者の書11:9
私たちはどれだけ体を鍛えても、健康を気遣っても、肉体は必ず朽ちていきます。しかし、私たちの霊や魂は朽ちることはなく、私たちのこの世の生きざまによって神の裁きを受けることになるのです。この世でどんなに成功しても、権力を得ても、多くの財を蓄えたとしても、神の前に富まない者は滅びを刈り取らなければなりません。したがって、人生で最も重要なことは、裁き主なる神の存在を知った上で正しく歩むことです。
結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。伝道者の書12:13~14
しかし、残念ながら神の前に罪のない人は一人もいません。そこで、愛なる神様は人々の救いの道をも用意して下さいました。神の御子・イエス様が人となって来られ、十字架について私たちの罪を負って清算して下さいました。そこで、私たちはそれをただ信じるだけで、無代価で恵みを受け取ることができるようになりました。神さまが救い主を送って救いの道を開いてくださいましたが、その恵みに応答するかどうかは私たちの選択にかかっています。
今問題を抱えて苦しんでおられる方は、一人で悩んでおられないで、この恵みを是非受け取って新しい年をスタートして頂きたいと思います。
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