あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ
~ 年取って死んだら終わり ?~
神様を信じて、信仰を持つなんて年寄りのすることで、若い元気なうちは自分の力で、人生を切り開いて生きて行くんだというように考える方が大勢おられると思います。私も創造主なる神様の存在を知るまでは、そのように考えていました。
自分の人生、好きなように生きて、そのうえで豊かな生活ができて、年取って死んだら終わり、・・・しかし果たしてそのような考えに間違いはないと断言できるのでしょうか?
私たちは自分の知恵や知識、経験ですべてを判断し、生きていこうとします。しかし、人間の知恵や知識なんて知らなければならないことに比べると実にちっぽけなものだと思います。
聖書には、次のような警告が載っています。
若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。しかし、これらすべての事において、あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。伝道者11:9
人間社会では不公平なことを沢山目にします。正しい人が虐げられ、悪い人が権力をもって人々を蹂躙し、わが世の春を謳歌します。それで少なくない人々が正しく生きる事よりも、世をうまくわたる・処世術を身につけることに精力を注いでいるようにも思えます。
しかし、聖書ははっきりと、「人は一度死ぬことと死んだ後に裁きを受けることが定められている。」(へブル9:27)と警告しています。
すなわち、すべての人がやがて神の前に立ち、その人の行いの全てが明らかにされて裁きを受ける時が来ると警告しているのです。不正をして地位や権力を得ても、それに応じての裁きを受けなければなりません。あなたは神の前で咎められるようなことは全くしていないと胸を張れますか?
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。ガラテヤ6:7~8
この世を生きる上で最も大切なことは、天地万物の造り主がおられることを知り、その方を恐れ敬うことだと教えています。この世の知識をいくら蓄えても、またこの世でいくら成功しても、やがて来る裁きに備えていなければまったく意味のないものになってしまいます。
このことが単なる脅しであって、死んだら肉体も魂も、霊もすべて消えてなくなるのであれば、心配はいらないでしょう。しかし、私は聖書の教えることが真理であると確信しております。
ただ、神様は私たちを愛し、私たちの救いのために神の御子イエス様を人としてこの世に送って下さり、私たちの全ての罪を十字架で清算してくださいました。そして、このことはイエス様が生まれる前から何度も預言されていたことで、聖書を知っている人にとっては周知の事実です。そして、多くの人が救い主の到来を待ち望んでいました。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16
このお方が身代わりとなって自分の罪を清算してくださったと信じるなら、すべての罪は聖められ、神さまと共に歩む人生をスタートできます。
私が学生時代、宣教師の先生から英語を教えてあげるからと誘われた時には、私を騙してクリスチャンにしようとしていると思い、それを拒否してきました。しかし、実際聖書を読んで、真理であることを確信した今は、なんでもっと早く信じなかったのだろうかと思っています。
神さまが神の御子を送り、最後のチャンスを与えて下さったので、このお方を知り、恐れ敬って生きるか、無視して生きるかの選択が迫られています。それによって、死んで後の永遠が神のパラダイスか、それとも永遠の滅びか違ってくるのです。
No Response to “あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ”