悔いのない人生のために
~人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている~
今回は人生の最大のテーマである「人生の目的」について考えたいと思います。人はどこからきてどこに行くのでしょう。そして、あなたはどこを向いて生きていますか?
もし、私たちが進化論(仮説)の言うように偶々生きているのでしたら、好き勝手に生きて悪い事をしてでも、自由奔放な人生を送ったら良いと思います。それなのに、人は少しでも有意義な人生を送ろうと思い、正しい事や人に喜ばれる事、人の役に立つ事をしようと考えます。
偶然生まれて偶然生きているのでしたら、そんなことは考えなくても良いはずです。良い事をしたところで、正しい生き方をしたところで、最後はみんな死んでいくのです。あなたの正しさや優しさは、やがてすべて忘れ去られてしまいます。
しかし、人には良心が備えられています。正しいことをしたら心の内に喜びがあるのです。悪いことをしたら心の平安が奪われるのです。それでは、私たちの良心はどこから来たものでしょうか。偶然出来たのでしょうか・・・?違います、人に最初から備えられていたものなのです。しかし、その良心は人が悪い事を続けると少しずつ麻痺してしまいます。
また、人は皆死ぬ前になると、自分の人生を振り返るのです。その人生は儲かったとか、好き勝手出来たとかで満足するのではなく有意義な人生だったかを回顧するのです。
アップルの会長でパソコンを普及させたスティーブ・ジョブス氏は、彼の最後の言葉として「私はビジネスの世界で成功の頂点に君臨した。他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。しかし、仕事を除くと喜びが少ない人生だった。人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた人生の単なる事実で、何も意味をなさなくなっている。」と述懐しているのです。
私の伯父も有名大学を出て、会社の社長まで上り詰めた一見人生の成功者でしたが、病床のベッドの上から、「私の人生は一体何だったんだろうかね。」と話してきました。伯父が入院した時はたくさんの会社関係者や取引先の重役の方々がひっきりなしに見舞いに来ていました。しかし、回復の見込みがなくなると人々は引いて行き、だれも来なくなって最後は看護婦さんに「おじーちゃん!」と、怒られるようになりました。
人々は人生の目的をこの世の成功に置きます。しかし、そんなものはいつか無くなって忘れ去られてしまいます。そんなところに人生の目的を置くと、やがて人生を終えようとするときには必ず後悔するようになります。
私たちが正しく生きるように良心を与えたのは、私たちを創られた神様がその様にされたからです。このお方を知ることなしに悔いのない人生を送ることはできません。
【主】を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。わたしによって、あなたの日は多くなり、あなたのいのちの年は増すからだ。もし、あなたが知恵を得れば、その知恵はあなたのものだ。もし、あなたがこれをあざけるなら、あなただけが、その責任を負うことになる。箴言9:10~12
また、私たちが死を恐れ、死を目前にして自分の人生を振り返るのは、人生が死で終わるものではなく、私たちの生き様が永遠を決定するからです。神は私たちを霊的な存在に造られました。体が死んでも魂と霊は天国か地獄で生き続けます。それで、人は死を恐れるのです。
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、・・・・。ヘブル9:27
死を直前にして、後悔することのないように、創造主なる神を信じ、神さまの御心に沿った生き方を心掛けたいものだと思います。
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