視力検査と心の目

公開済み 4月 23, 2023 by 管理人 in アドナイ・エレ

~ 僕、目は悪いけど感がいいからね。 ~

私が毎朝小学生の登校見守りをするときに、いつも最後の方で待ち合わせて学校に行く6年生がいます。彼は友達を待つ間に色々話しかけてきます。先日、彼の話を聞いている時に川向うの先の方に、彼の友達の姿が小さく見えました。制服制帽は皆一緒ですが、長く子供たちを見ていると歩き方でだいたい誰だか分かります。

「〇〇君、来てるよ」と彼に言うと、「えっ、どこどこ?」と聞いてきます。「ほら、あそこに来てるのが彼だよ。」と言うと、「えっ、どこ?あのね、僕は目が悪くてよく見えないんだよ。」と言います。「遅くまで、ゲームとかをしてるんじゃないでしょうね。」と聞くと、「そんなことはないけど」と言って、「でもね僕、学校の視力検査ではAAなんだよ。」と言います。視力は悪いのに、視力検査が良いって、どうゆう事だろうと思って尋ねると、「僕、目は悪いけど感がいいからね。」と言います。そこで、私が「君の感がいいかどうかわからないけど、視力検査の時は、感を働かせない方がいいよ。視力検査は良い結果をえるためではなくて、今の視力を知るためのものだから」と言いました。

彼のことを変わった子だな~と思っていると、ふと昔の自分のことが思い出されました。それは、そういう私の小中学生時代も、視力検査は両眼とも最も小さい文字が読める2、0でした。それで、視力検査の時はいつも皆に驚かれました。勉強や他の事では余り目立たなかったので、視力検査の時は2、0を取るために、検査前は意識して目を使わないように、また緑の景色を見るのが目に良いと聞くと、視力検査の前はただジーッと山を見ていてそれから検査に臨みました。

それを思い出し、彼に「視力検査は良い結果を取るためではなくて、今の視力を知るためのものだから」と話した言葉が自分に返ってきました。

さて、そのような眼だけが自慢の私も40代になると、少し新聞の字が読み難くなってきました。ああ、自慢の目も、ついに老眼が始まったかな~と観念しました。それで、渋々ながら老眼鏡を使うことにしました。

その後、老眼鏡は私の必需品となっていきます。教会の講壇にある遠近両用の眼鏡を皮切りに、牧師室と母子室、2階の自宅の自室と居間、そしてトイレと外出用のバッグの中まで、それぞれ老眼鏡がセットしてあって、いつでもどこでも本や新聞をすぐ読めるようにしてあります。これらのメガネは一挙に買ったのではなく、古くなったものを徐々に使用回数の少ない所に下ろしているうちに、30年間で溜まったものです。

さて、年を取り60代になった時、右目に靄がかかったように少しづつ見えにくくなってきました。ああ、視力を誇った目も寄る年波には勝てないな~と残念がっていました。

しかし、一度眼科で見てもらおうと、病院を訪ねて診てもらうと、「白内障です。手術が必要ですとのこと」そこで、手術して頂きました。

手術の前、「視力1、0にしますか1、5」にしますかと聞かれたので、えっ、そんなことができるんだと思い、「1、5にしてください」と言い、手術を受けました。すると、今までの靄が完全に晴れて、すべてがくっきり見えだしたのです。老眼鏡をつけた時もそうですが、今回も生まれ変わったみたい綺麗に見えるようになりました。

その様に目は私たちにとって重要な器官ですが、それよりもっと重要なのは心の目です。心の目がはっきり見えるようになっていないと、間違った人生になってしまいます。

あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。マタイ6:21~23

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