何故、そうまでして牧師するの?
~宗教関係は儲かるからね???~
私は大学卒業後、鹿児島のある企業に入社しました。その会社は当時、鹿児島県内ではトップクラスの給料で、それなりに満足して生活しておりました。
入社後、5年ほどで生きて働かれる真の神様の存在を知り、夫婦でクリスチャンになりました。クリスチャンになると、内側から喜びがあふれてきて、生きて働かれる神様のことをもっと知りたくて、いつもポケット聖書を持ち歩いて、バスのつり革に掴まっているときも、車を運転しているときも、信号待ちやちょっとの隙間の時間をとらえて聖書を読んでいました。また、家では次々に買ってきた三浦綾子さんの本を妻と読みあさりました。
そして、この喜びを人々に伝えたいとの一心で人々を集めて家庭集会を始めました。と言っても、当時はまだ聖書の知識がなくてお話などできなかったので、高価だったキリスト教のビデオを次々に買ってきて、それを映して見せていました。
ある時、私が通っている教会の教団の研修会がお隣の県の教会で数日間の行われることになり、会社を休んで出席させていただくことに致しました。平日に行われる集会ということもあって、参加者はほぼ様々な教会から来られた牧師先生方でした。
集会は、食事時間と集会の合間に少し休憩が入る程度で熱心な学びの時が続き、夜8時過ぎに初日のスケジュールがすべて終わりました。それから、私たちは近くのホテルに移動してゆっくり休むものと思っていましたが、その後目を疑う光景を目にしたのです。それは皆、今まで集会をしていた所の椅子を並べて、そこで寝る準備を始めたのです。
牧師先生方は皆50代60代の立派な紳士の方々です。そんな方々が会堂に椅子を並べてそこで寝るなんて・・・。雑魚寝というのは学生時代のもので、大人になってからすることはないと思っていました。私は当時30歳そこそこの平社員でした。それでも、出張で泊まるときは、会社からそれなりのホテルに泊まれるほどの経費は頂けました。それなのに、教会関係ではそういう経費は出ないのだと初めて知りました。
皆、立派な大学等を出ておられる紳士たちです。この方々がどこかの会社に勤めておられたら、立派な役職に就き、良い給料をもらって、立派なホテルで宿泊されたことでしょう。しかし、この方々はそういうものを打ち捨てて、牧師になっておられるのです。それは、彼らがそのようなものに代えがたい重要な使命を持っておられるゆえだと思いました。
そして、そんな私も会社を辞めて牧師として同じ道を歩み始めました。それは、生きて働かれる神様を知ることが人生の初歩であり、この真理を知らないで生きることほど無意味な人生はないことが分かったからでした。
したがって、そのことを一人でも多くの人に知っていただくために敢えてこの道を選びました。牧師を始めた当初は給料が会社時代の4分の1になりました。
その時、私が会社を辞めて牧師になったことを友人に伝えると、彼から「宗教関係は儲かるからね。」と言われました。他の宗教はいざ知らず、キリスト教の牧師は決してそうではありません。先日、うちの教会で牧師先生たちが集まって集会がありました。先生たちはみな才能のある方々です、この人たちは牧師にならなかったらもっといい生活ができたであろうに、それより神の恵みを伝えることを優先したのだなと思いながら見ていました。
あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、・・・自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──エペソ2:1・・5
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