本読みのボランティアと取越し苦労
~ ほら、心配する必要なんてなかったでしょう。 ~
先日の朝、登校する子供たちの見守りをしていると、4年生の女の子が、突然「やっと机をくっつけられたんだよ。」と話してきました。学校に行く途中なので、お家でどこかの机をくっつけたってことかなと思って聞いていると、どうやら、学校の教室で、コロナ禍は一つ一つの机を離して並べていたのが、コロナの5類への移行によって、彼女のクラスでも、それぞれの机を2個ずつくっ付けて並べるように変わったということでした。
さて、今年も小学校での本読みのボランティアに参加させていただくことに致しました。もう10年をはるかに超える大ベテランになっていますが、もうしばらく若い方々と一緒に奉仕させていただこうと思っています。
今年度の最初のボランティアは5月2日(火)ということでしたが、5月2日は私たち夫婦の旅行の出発日で、飛行機の出発時間との兼ね合いで、残念ながら初回の本読みはお休みさせていただくことにしました。
そして、第2回目(5/30)に今年度私の初めての本読みに小学校に行きました。今回は1年い組での奉仕です。1年生の教室前の廊下に行くと、いつも登校時の見守りで顔を合わせるH君がすぐ私に気付いて話しかけてきました。
そして、二人が親しげに話しているのを見て、数人が私たちの周りに集まってきて、H君に「この人、君のお父さん?」と聞きました。以前も朝、登校時に会う子供が私の手を引いて教室まで案内したりすると、他の子供たちから「君のお父さん?」とか聞かれていたので、ああ、またかなと思っていたら、今回は、先ほどの子が私の顔をじっと見て「君のおじいさん?」と問い直していたので、本読み長年している内に顔も老けたんだなぁと思いました。
そして、今年の3回目のボランティアは6月12日で3年ろ組でした。教室前に行くと一人の女の子が「もう、いやだ、いやだ」とすねていました。私が「どうしたの?」と聞くと、「席替えがあるの、いやだぁ、今のままが良い」と言って私に訴えます。
私が「え、今から席替えなの?」と聞くと、「いや、今日の5時間目」と言います。それなら、その時までずっと、嫌な思いに縛られて大変だなと思い、「席替えうまくいくかも分からないでしょう。そんなの今から心配しない方がいいよ。」と言って、励ましましたがなかなか思いを変えられないようでした。
それから、時間になったので教室に入り『たいせつなきみ』という本の読み聞かせをしました。始める前に、「本を読んだ後で発表してもらいますので、真剣に聞いてね」というと、その一言が利いたようで皆静かに、真剣に聞いていました。
さて明くる日の登校時、席替えを嫌がっていた女の子に「席替えはどうだったの?」と聞くと「○○ちゃんも、○○ちゃんもみんな近くだった。」と喜んでいました。それで「ほら、心配する必要なんてなかったでしょう。」と言いました。
世の中の心配の70%は取り越し苦労だと聞いたことがありました。私たちは自力ではどうしようもできないことを心配し過ぎて、自分で不幸を背負い込んでしまいます。心配することのほとんどが取り越し苦労なら、無駄な心配をすることがないように、実際に起きてから考えた方が賢い対処法です。また、同じ問題の中を通っていても、考えようで全く違う歩みをすることもできるのです。
さて、私たち生きて働かれる神を信じる者の対処法は、心配しないで神に祈ることです。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。ピリピ4:6~7
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