台風からの避難体験
~被害を抑えるために、最低限の備えを~
今、テレビでは沖縄地方を襲う台風6号の情報が流れています。現地の人のみならず、旅行者も交通機関がストップしたことにより足止めを食らい、不安な日々を送っておられるようです。
離島では台風に遭うと、食べ物を確保することが大変です。台風になるとあらゆる交通機関がストップし食料が入荷しないので事前にある程度買いだめしておかないといけません。先日、沖縄のスーパーの状況が放映されていましたが、ほぼ全ての棚が空っぽ状態でした。
沖縄をはじめ南の島々は台風に見舞われることが多いので、台風対策はかなりできているようですが、近年の台風は年々強力・大型化して来ており、対応が一段と難しくなっています。
私は小さい頃、南国の島・屋久島の川べりに住んでいて、滔々と流れる澄んだ綺麗な水を見て、家の前の砂浜で遊んでいましたが、台風が来ると毎回床上浸水して避難を余儀なくされました。住宅前の大きな川が氾濫することはあまりなかったのですが、川に流れ込む小さな小川が大きな川の水量が増すことによって行き場を失い、川べりに並んだ公営住宅5~6軒を飲み込むことが常でした。
私がまだ小学校低学年だったころのことです。台風接近により、その時も小川が氾濫し、床の下から水位が徐々に上がってきていました。しばらくすると、消防団の方が「早く避難しないと逃げられなくなるよ。」と言ってきました。しかし、父は台風に備えて家具や畳を吊りあげたりすることに忙しくしていて、「まだまだ大丈夫」といって、忠告を聞きませんでした。しかし、水位が上がるのは恐ろしく早くて気付いた時はもはや逃げることができなくなっていました。
しばらくすると、先の消防団の方々が助けに来てくれました。一人の消防団の方が腰まで浸かり私を背負って水の中を半分泳ぐようにして高台まで運んでくれました。多分、弟と私が背負われて、あとの家族は水の中を歩いて渡ってきたものと思います。恐ろしい経験でした。
また、一度は迷走台風に翻弄されたことがありました。私たち家族は鹿児島行きに乗船しました。そして間もなく船は鹿児島に向けて出港しました。外は良い天気でしたが、徐々に雲行きが怪しくなり風が強くなり始めました。さらに風雨が強くなり、もう船を降りて島に上陸することは不可能な状況になりました。風はどんどん強くなって船が激しく揺すぶられ始め、激しい雨が強く船に打ちつけるようになりました。
客船はただ転覆しないように台風の直撃を避けるため、島の陰に隠れるようにして島の周りを回っていました。船の揺れは尋常ではなく、食べた物を吐き、最後は胃液や血を吐く人まで出ました。恐ろしい体験でしたが、明くる日台風が通り過ぎると船はやっと鹿児島港に向けて出港しました。これらは私の小さい頃の恐ろしかった台風の体験談です。
さて昨年、私たちの住む地域で大雨による川の氾濫の危機があり、避難指示の警報が出て、地域無線で盛んに一人住まいの方や高齢者の方々は避難所である支所に避難されるようにとの放送がなされました。
我が家も川べりにあり、夫婦とも高齢者ではありますが、自宅は教会の2階なので垂直避難と一緒だと思い、2階にいて様子を見ることにしました。後で聞いた話ですが、高齢者の方々が支所に避難して来られて、夜になり外が暗くなってから、「アノ~。何か食べ物は出ないのですか。」と聞いてこられたそうです。普通1日~2日しないと支援物資は届きません。そして、このような一時避難の時は食事の準備はありません。そこで「食べ物の準備はありません。それぞれが自分で調達してください。」と言われ、豪雨の中を自宅まで帰られたという事でした。事前に避難する方々に、食べ物は各自が準備するように教えていただいた方がよかったのではと思いました。
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