暗闇に光を灯す働き
~障害者に仕える人々~
全国障害者スポーツ大会が10月28日から3日間開催され、身体に障害のある方、知的な障害がある方、精神的な障害を持っている方など約3640人が鹿児島県各地の大会会場を訪れて、熱戦を展開しました。
大会前に、身体的障害を持って卑屈になって暮らしておられた方が、車いすバスケットを始めて性格も人生も180度転換して、明るく生きがいをもって前向きな人生を歩んでおられる様子がテレビで紹介されていて、感動いたしました。
このようなパラスポーツで生きがいを見出し、元気に活躍されておられる方を見るたびに、日本へパラスポーツを紹介し、普及させるまで涙ぐましい戦いを続けて来られた国立別府病院整形外科科長であった中村裕博士のことを思い、感謝せずにはいられません。
博士が、リハビリテーションの研究を目的に1960年5月、イギリスのストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷者センターに留学した時、そこでグットマン博士の指導の下、スポーツを医療の中に取り入れて、残存機能の回復と強化を訓練し治療するのを目の当たりにし強い衝撃を受けました。
そこで彼が、明るく前向きにスポーツに励んでいる障害者たちを見た時、それを日本にも普及させたいと強く思われました。しかし、当時はまだ治療は安静が中心だった日本の障害者治療の専門家たちからは、障害者にスポーツをさせることに反対されました。更に一般の方々からは、「障害者を見世物にするつもりか。」と叱責されました。
それでも博士は諦めずに、自分の患者や医師・体育関係者・県庁・身体に障害のある人などを熱心に説得し、「大分県身体障害者体育協会」を設立、1961年10月22日に「第1回大分県身体障害者体育大会」を全国で初めて開催しました。
このような中村博士の尽力により、現在の障害者たちの生きがいとなっているスポーツ大会がスタートし、ついに今回のような国体後の障害者スポーツの全国大会として開催されるようになりました。先生のご尽力に心から敬意を表します。
また、今回はもう一方、障害者のために尽力された三宅精一氏を紹介させて頂きたいと思います。彼は世界で初めて視覚障害者誘導用ブロックを開発された方です。きっかけは、三宅さんの友人が病気で徐々に失明していき、道を歩くのにも困難を覚えるようになったのを見て、彼は自分の私財をつぎ込んで、目の不自由な人が道を安全に歩けるシステム開発に着手しました。
そして、1965年視覚障害者誘導用ブロックを開発しました。視覚障害者が道を真っすぐ歩くところは線状ブロックを並べ、交差して曲がるところは点状ブロックにして、一人でも安全に歩けるようにして、1967年3月18日最初に、それを地元岡山の岡山盲学校の前に設置しました。
その後、世界各地からそれを視察に来て、その素晴らしさに感動し、導入する国が相次ぎました。彼の視覚障害者に対する愛が彼らの暗闇に希望の光を照らしたのです。
このように人の痛みに目を向けて、その人々のために奉仕することは、人間の器が大きくないとできないと思います。赤ちゃんは仕えさせるばかりです。大人になっても自分のことで精いっぱいの生活をする人がほとんどだと思います。しかし、器の大きな人は痛みを抱える人々のために、自分を捧げ仕えることができます。
今回は障害者に希望の光を与えたお二人を紹介させていただきました。私たちも愛を持って苦しみ傷んでおられる人々に愛の手を差し伸べられる人になりたいと思います。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。」マタイ20:25~26
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