神の恵みに感謝

公開済み 11月 26, 2023 by 管理人 in アドナイ・エレ

~すべての恵みの基なる主に感謝~

私は中学まで、父の仕事の関係で、世界遺産で有名な鹿児島県の屋久島で過ごしました。もちろん私が住んでいた当時はまだ世界遺産ではなく、霧島・屋久国定公園だったと思います。それで、きれいな水と空気と景色に囲まれて、雄大な大自然の中で、あまり勉強しないでのびのび育ちました。

僻地ではありましたが、食に関してもそんなに不自由は感じませんでした。ただ、台風などで定期船が通わなくなると、各家庭だけでなく、お店にも冷蔵庫などない時代なので、食料はひっ迫していたと思いますが、食べられないでひもじい思いをした経験はありませんでした。

私の両親はどこに引っ越しても、家の敷地の片隅に父が小さな鶏小屋を建てたて、そこで数羽の鶏を飼っていました。おかげで新鮮な卵はいつでも不自由なく食べられました。また、狭い庭には母が作る家庭菜園があり、キュウリやトマト、ホウレン草やネギなどの野菜が植えられていました。

そして、時々母は家の回りにたくさん生えている細い竹のタケノコをとって来て、みそ汁などに入れて食べさせました。その他、自然に生え出たツワブキをとってきて食べさせることもよくありましたが、私はあまり好きではありませんでした。

お魚はサバやトビウオが主で、時々は兄が釣ってきた太刀魚や、川の石垣の間に仕掛けておいた罠にかかったウナギを朝の登校途中に取って急いで帰ってきて、母に渡して再び学校に向かっていました。私たちは、夜それを食べました。それで、食べ物に関しては一応満足していました。

しかし、現在の食べ物の豊富さと比べると、当時の私たちの食物は比較になりません。今の人たちは溢れるほどの美味し食べ物に囲まれて、いつでも好きな時に好きなものを好きなだけ食べられる、とても恵まれた環境に住んでいます。

さて、本日は教会の収穫感謝日なので、私たちの教会では収穫物を持ち寄って、創造主なる主に感謝し、後で兼ねてお世話になっている交番等に持っていきます。

そこで、一つお話をさせていただきたいと思います。

ある日の夕方の食事前に、教会幼稚園に通っている男の子が、幼稚園で習った感謝のお祈りをしました。「天のお父様、このお食事を感謝します。」すると、お父さんが「おいおい、俺はまだ死んでないぞ、ここにいるよ。」と言いました。それに対して、男の子は「天のお父様というのはお父さんじゃないよ。神さまのことだよ。」というと、お父さんが「このお食事を君たちに食べさせているのは、天の神様じゃなくて、お父さんだよ。お父さんが汗水流して働いてお金を得て、それで食べ物を買って君たちに食べさせているんだよ。君が感謝する相手は神様じゃなくてお父さんだろ。」と言いました。

確かにお父さん、お母さんが働いて得たお金で食事が出来るのだから、両親に感謝することは良いことです。しかし、幾ら沢山のお金を稼いでいても、月や火星や木星にいたら、それは何の価値もありません。そこには、肝心の食べ物がないのですから。

神さまは私たちを愛して下さって、私たちにたくさんの美味しい食べ物を与えて下さいました。それも食べてなくなるのではなくて、種を蒔いたらまた再生できるようにしてくださいました。こんな食べ物が偶然できたと思うほうが強い信仰がいります。色や形、大きさや食感、それに含まれる私たちの健康を支える様々な栄養素、すべて神さまの愛によって提供されたものです。食前の祈りは、そのことを創造主なる神さまに感謝するのです。

神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。創世記1:11

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