新しい年を迎えて
~あけ・おめ!こと・よろ!~
新しい年を迎えました。昨年まではコロナ禍の自粛!自粛!で、思うような活動ができなかったことでしょうが、今年はコロナもようやく沈静化して、再び思い思いに以前のように活発に活動できそうで、皆さんは夢いっぱいで新しい年をスタートされたことだと思います。
子供たちも新しい学期を迎えて、元気に登校し始めました。冬休みが明けた最初の朝、いつも早く登校していた5年生の男の子たちが、今年もいち早く登校してきました。そこで、彼らにいつものように「おはよう」と声をかけると、「あけ・おめ!こと・よろ!」と大声で答えました。私は訳が分からず、「はあ?」と聞き返すと、『あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。』を略して言ったということでした。
子供たちの中で流行っているのか、あるいはお正月に、どこかで聞いて早速試してきたのかのどちらかだと思います。多分、学校でも盛んに使うつもりだろうと思います。
そうこうしていると、顔にひげを蓄えた男の人が、懐かしそうに近づいてきて、「おじちゃん僕、覚えてる?」と聞いてきました。しかし、全く覚えがありません。「○○だよ。○○。」と名前を言います。それでも覚えがありません。すると、「僕が小学生のころ、毎日ここを通っていたんだよ。」と言って、「18年振りに喜入に帰ってきたんだよ。」と言います。
「帰ってきて駅を出たら、懐かしい教会が昔のままここに建っていて、ふと見たら昔私が学校に行く時に立って見守りをしていたおじちゃんが、まだ立って見守りをしていたので懐かしくなって声を掛けました」とのこと。ひげを蓄えた立派な青年から小学生の彼の顔を思い出そうとしましたが、なかなか思い出せません。すると、「おじちゃん家の子供が僕の3つ上にいたよ。」と教えてくれました。
彼は今、東京でお仕事をしているという34歳の青年、「結婚してるの?」と聞くと、「いや、まだしてません。」との返事、「我が家の子もまだだよ。」と話しました。彼に関する私の記憶が蘇ることはなかったのですが、声をかけてくれたことに感謝しました。
また、今年は1月1日元旦礼拝、そして1月4日に教会のTさんたちとの結婚カウンセリング、1月6日にお二人の結婚式があり、司式をさせていただきました。お正月からおめでたいことが続き、良い年になりそうな予感がしています。
さて、話は変わりますが、お正月の記憶に、私たち家族がまだ屋久島に住んでいて、私が小学低学年のころに体験した行事をお話ししようと思います。中学生と小学生高学年ぐらいの人が1軒1軒家を回って来て、「いおう(祝う?)て良いですか」と言い、承諾を得ると歌い始めます。うろ覚えですが取り合えず、歌の内容を思い出しつつ書いてみます。
「いおうて申す、恒例の門松、いつもより今年は木戸の松が栄えた、栄えたもどうーよ、東の方の枝にはトッピョー(トビウオ)が下がって、西の方の枝には鶯が止まって、鶯の目におい(生い?)たる稲は、ひとまたかいが千石、ふたまたかいが2千石、どなたの屋ども見渡してみれば、米ん田が千石、籾ん田が2千石、いおうて申す」と歌って、お小遣いを貰っていたようです。
おそらく引き継がれてきたお祝い(祝福)の歌を1件1件歌って回って、そのお礼にいくばくかのお金を頂いていたものと思われます。私が小学高学年になってからは、父の会社の社宅に移ったので、それ以来は全く聞くことがなくなりましたが、お正月に屋久島で行われていた行事、今もあるのかどうか分かりませんが懐かしい行事として思いだされたので書いてみました。
ただ、繁栄を求める行事は各地にありますが、真の祝福は、天地を造られた神さまからのみ与えられるもので、人は祝福を左右することはできませんので、まず創造者なる神を知ることが祝福の基です。
地はその産物を出しました。神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。神が私たちを祝福してくださって、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。詩篇67:6~7
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