いつまでも上手く話せないもどかしさ
~ 早口でも、話下手でも大切なことをしっかり伝えよう~
礼拝メッセージや講演会でのお話をさせていただいて、間もなく40年になります。年季が増すほど磨きがかかって上手に話せるようになると思っていましたが、私の場合どうもそうではなさそうです。
若いころのメッセージやお話しは、メモ用紙にポイントとなる単語を複数書いて、それに沿って話したら、それなりに思っていることが話せました。そして、聴衆を見ながら譬えを差し込んで話すこともできました。
しかし、少し年を取ってくるとポイントの単語だけではときどき話すことが思い出せなくなり、あちこちのポイントのワンフレーズをメモに書くようになり、また礼拝メッセージではあちこち引証する聖書の聖句の場所を書いていないと不安になりだしました。
そして今では、最初から最後までお話しする内容を全て書いて、引証する聖句もすべて打ち込んで、それを何度か読んでメッセージをするように変わりました。時には少し道を外れて、体験談を入れたり、例え話を入れたりしたいのですが、そのような時に知ってるはずの単語が突然でてこなくてアタフタすることがあるので、なるべく作られた文章にそってお話しさせて頂くようになりました。
それで、メッセージが事前にすべて文章化されているので、当日のお話の要約をザッとまとめて当日の週報に載せるようになりました。すると、その週報を見た若い牧師の方々から「当日のメッセージの要約を当日の週報に載せられるのですか?すごいですね。」と感心されました。しかし、これはすごいことでも何でもありません。若い先生方は頭の中で大雑把に準備して、聴衆の反応を見ながら、臨機応変にメッセージを組み立てられるので、メッセージの要約はどうしても翌週の週報にしか載せられないだけです。
随分前に、年配の牧師がこう言われるのを聞いたことがありました。「昔は、用事をメモ用紙に単語だけチョッチョッと書いてれば良かったのが、徐々に文章で書いていないと分からなくなり、そして今は、その書いた紙を忘れるようになった。ハッ、ハッ、ハッ。」今、私もそのお気持ちがよく分かります。
また、もう一つの問題は、私は話すのが昔から早いのです。中学生の時、英語の先生から「お前テンプラを食べてきたのか」と言われたことがありました。若い時は、他の人の3倍ぐらいの速さで話すので、人の何倍ものメッセージを準備しなければなりませんでした。
ある時、大分の教会でお話させていただいたことがありました。お話が終わって、講壇から降りて行き、一番前に座っておられた年配の女性の方に「お話は、どうでしたか。分かりました?」と聞きましたら、その方が私を見て、「苦しかった。」とだけ答えられました。私の話が早いので、聞いてる内に息が詰まりそうになったようです。
それで、年配の先生方が「皆さ~ん。・・・、どう~ですか、・・・、分かりましたか~・・・?」と時間をとって、ゆっくりゆっくりお話しされるのを見ると、その姿に憧れますが、私の場合はなかなか上手くできません。
お話する前にはゆっくり話せるように心に言い聞かせて、講壇に立つのですが、いつも最初の数単語ゆっくり話すだけで、後はいつもと一緒でペラペラしゃべっています。きっと、間が空くのが怖いからついつい早口になるのだと思います。早口でも、話が下手でも大切なことをしっかり伝えられるようになりたいです。
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。Ⅱテモテ4:2
聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。Ⅱテモテ3:15b
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