子供たちをもっと遊ばせたい
~ 一週間の内で君が一番嬉しい時は何時? ~
私が小学生のころ、宿題というと夏休みと冬休みに渡される「夏休みの友」と「冬休みの友」だけで、平日には宿題など全くありませんでした。ですから、学校から帰ったら毎日、暗くなるまで目いっぱい遊んでいました。
相撲をしたり、ソフトボールに興じたり、魚釣りに行ったり、木に上って桑の実を食べたりと、時間を忘れて遊びすぎて、暗くなって帰って怒られるのはしょっちゅうでした。
6年生の時、家が隣同士でほぼ毎日一緒に遊んでいた親友が、「一週間の内で君が一番嬉しい時は何時?」と聞いてきました。当時は、日曜日だけが休みで、土曜日も午前中は授業があったので、勉強嫌いな私は「それは、日曜日の朝起きた時だよ。今日は休みだ、学校の授業がないので1日中遊べると思うからね。」と答えました。
すると、彼は「僕は違うね。」と言う、勉強のできる彼は、僕と違って日曜日が一番嬉しい日じゃないんだと思っていると、彼が「僕が一番うれしい時は、土曜日の授業が終わって、さようならと最後の挨拶が終わったときだよ。」と言ってきました。ええっ、なんだか僕が半日損した気分になりました。
今の子供たちに、「おじちゃんの小さい頃には宿題はほとんどなかったんだよ、だから学校が終わったら毎日遅くまで遊んでいたよ。」と言うと、「わあ、良いなぁ~」と羨ましがります。
今、子供たちは学校の授業が終わると、ほぼ毎日習い事に行っています。ピアノや習字、珠算や、公文や英語等々、その他サッカー、水泳やバスケット、ソフトやバレー等々と、学校から帰っても毎日毎日忙しく、ゆっくり遊んだりできないで習い事で走り回っています。
したがって、教会のイベントに誘っても○○の塾とか、○○の試合があるとかで、なかなか教会に来られません。私たちが30年前にこの地に来た頃は、まだたくさんの子たちが教会のイベントを楽しみにしていて、集まってくれていました。
さらに、今から40年以上前の私たちが谷山にある母教会の伝道所にいた時は、日曜日は10キロほど離れた母教会の礼拝に行き、午後からの役員会や執事会などの会議を終えて伝道所に帰ってきて、夕方4時から子供たちの集まりを毎週行っていました。
教会から帰ってくると、もう伝道所の庭には40人ほどの近所の子供たちが集まってきて、待っていました。中には、私たちが礼拝に出かける午前中から来ている子もいました。
昔の子たちはみな時間をたっぷり持てていて、今の子たちに比べると、時間的に随分ゆとりがあったように思います。
急いで大人にならなくても、子供の時は無邪気にたっぷり遊んで楽しく生活できたらいいのになあと思います。
私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。Ⅰコリント13:11
大人になると子供の頃の素直な気持ちや純粋な思いを失ってしまいます。それは思いっきり遊び、楽しいことをする上で培われていく面もあるように思います。
イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」ルカ18:15~17
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