私のクリスマスの変遷
~ 不安や恐れ、思い煩いや悩み等の暗闇に光を ~
今年は私の76回目のクリスマス。私が幼いころ、終戦後まもなくはクリスマス自体余りポピュラーではなかったように思います。少なくとも私の記憶中にはありません。
私が覚えているクリスマスは私が小学生になってからです。寝る前に枕元に靴下をぶらさげて眠りました。そして、朝起きると膨らんでいる靴下からメンコやビー玉を取り出して喜びました。
やがて、高校生になると家を出て下宿をして学校に通っていたので、クリスマスの夜も特に何もなく、寂しく過ごしていました。
しかし、大学はミッションスクールで、50人の男子寮に入りました。それで、私に再びクリスマスが返ってきました。
クリスマスの日は寮の料理から違いました。一人一人にコーンスープと、銀紙で巻いたごて焼きがふるまわれ、大学の学長を招待し、ともにクリスマスを楽しみました。
しかし、私が寮長の時は学長と対面で食事をしなければなりませんでした。そして、私のスープの食べ方を見て、正式なスープの食べ方のマナーを教えてくれましたが、その時は折角の料理も余り楽しむことはできませんでした。
さて、食事の前に、みんなで「きよしこの夜」の英語バージョンSilent night, holy night! All is calm, all is bright. ・・・と厳かに歌います。すると、寮が聖夜の素敵な雰囲気に包まれます。そのあとプレゼント交換が始まります。皆が丸く輪になって「もしもしかめよ」の曲を大声で歌いながら、プレゼントを手渡しで回していきます。それで、今までの雰囲気は一気にぶち壊れてしまいます。そして、歌い終わった時に手にあるのが、自分へのプレゼントになります。
その他、クリスマスの前日はキャロルも行いました。皆が聖歌隊のガウンを着て、電車に乗り学院の短大の寮に向かいます。路面電車はガウンを着た若者たちで異様な雰囲気です。短大は女子寮です。そして、玄関前でみんなで一斉に、
Merry Christmas Merry Christmas Merry Christmas To you
Merry Christmas Merry Christmas Merry Christmas To all
と歌い、Merry Christmas と大声で叫びます。
しかし、そこでは軽い挨拶を交わして、大学の50人の女子寮に再び路面電車に乗って移動します。そして、男子禁制の女子寮の玄関前で、また同じようにMerry Christmasの賛美をし、最後大声で、Merry Christmas と叫びます。そして、そこでは寮の中に入れていただいて様々な出し物等をして、楽しい交わりの時を過ごします。
しかし、その当時はクリスマスが何たるかを知らないで、ただ楽しんでいただけでした。クリスマスが私たちにとってどんなに大きな祝福であり喜びなのかを知るのは、それからずっと後の社会人になってからでした。
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。イザヤ9:6
しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。イザヤ9:1~2
これは救い主誕生を約700年前の預言者イザヤが預言し残したものです。正しく、私たちの内の不安や恐れ、思い煩いや悩み等の暗闇に光を照らし、新しい喜びの人生を与えるということなのです。そこで、初めてMerry Christmasと言って喜べるようになるのです。
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