真の幸せはどこにある?
~豊かな生活の向こうにある?~
先日、朝の子供たちの登校の見守りをしていたら、4年生の男の子が「あのね、漢字ドリルの宿題があったんだけど、昨日やっと終わって提出の期限を見たら、2月末までとなっていてびっくりしたんだ。」と言ってきました。
私が「そりゃ、大変だ。もう10日も過ぎてるじゃない、先生に怒られるぞ。」というと、彼が「でもね、まだ出していない人が沢山いると思うよ。」と言っていました。
その時ちょうど、同級生の女の子がやってきました。そこで、彼が「あの~、漢字ドリルの宿題は出した?」と聞きました。すると、彼女は「もう、とっくに出したよ。」と言って、「でもね、まだ9人しか出していなかったみたいだったよ」と言いました。
彼が、「ほら、まだ半分以上出してないでしょ。」と言ったので、「あなたのクラスは全部で何人?」と聞くと、「20人だよ。」とのこと。私たちの時は1クラス40~45人だったのに、今は半分もいないんだなと思いました。
そして、私が「そんなにしてない子が沢山いたら、先生ももう怒らないかもね」というと、彼が「いや、先生は出してない11人を集めて一緒に怒ったりするよ。」と言っていました。
しかし、今の子供たちは大変です。学校の勉強や宿題の他に、英語や習字やソロバン、その他諸々の習い事で忙しくしています。
さて、子供たちはなぜ勉強や習い事をするのでしょう。昔、ある人がこんなことを言っていました。「一生懸命勉強して、良い高校に行って、良い大学に行って、良い会社に入って、安定した給料をもらって良い生活ができると幸せになれる」
それでは、良い給料をもらって、良い家に住んで、素敵な服を着て、美味しいものを食べたら幸せを本当に実感できるのでしょうか?
私の小さい頃の生活と、今の私たちの生活を比べると雲泥の差です。テレビがあり、冷蔵庫があり、洗濯機があり、炊飯器があり、クーラーがあり、外には自家用車があります。
私の小さい時に、こんな生活をしていたら大富豪です。ましてや、江戸時代や、それ以前の人に見せたら卒倒してしまいそうな豪華な生活です。それでは、今の人はみんな幸せかというとそうでもありません。
すなわち幸せは、豊かな生活とは直接は関係ないということです。人が幸せになれないのは、天地万物を造り人間を造り生かしておられる神様から離れてしまったが故です。
例えば、ディズニーランドで迷子になって泣いてる子が、良い服を着て、買ってもらった大好きなミッキーマウスのぬいぐるみを片手に、もう片手にはアイスクリームを持って、前から楽しみにしていた憧れのディズニーランドにいても、親から離れた子は幸せではなくて泣いているのです。
人間も一緒で、造り主なる神様から離れている限り、決して心の平安や喜びを持つことができず、目先の環境がどんなに変わっても幸せにはなれないのです。
小説家の林芙美子さんが『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』と言った言葉には皆賛同します。また以前、ある先生が学園祭に行ったら、教室の入り口に『これが人生だ!』と書いてあって、中に入ると教室の端から端にロープを張って、それに沢山の靴がぶら下げてあり『人生はクツウ(苦痛)の連続だ。』とあったことを話しておられました。
主なるイエス様は次のように言われました。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。マタイ11:28
さて、子供たちの勉強については一般教養を身に着け、社会に貢献するためにするのであって、強いて言えばそれが自分の幸せに繋がるものだと思います。
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