時のしるしを見分ける
~明日の天気を予想する~
3連休の最終日、市街地の教会で講師を招いての特別集会が行われ、会場には100人を超える人々が集まっていました。
講師の先生は、青森から来られたとのことで、出発の日は雪の中を30分ほど歩いて駅まで行き、その後飛行機を羽田で乗り継いで6時間以上かけて鹿児島空港に着かれたとの事でした。
先生が家を出て駅に行くまでは、雪の降り積もるなか長靴を履いて歩かれたそうですが、そのまま長靴で南国の鹿児島に来るわけにはいかないので、長靴は見送りに来られた奥様に持って帰っていただいて、革靴に履き替えて来られたという事でした。
確かに、鹿児島を長靴で歩くわけにはいかないでしょうから、仕方がないことでしょうが、また青森に帰られて、駅から家までは再び長靴が必要になるので、再度奥様に持って来ていただかなければいけないと言っておられました。
奥さんも大変でしょうから、駅かどこかに長靴預かり所みたいなのがあったら良いのになと勝手に思ったりしました。
さて、連休が明けて子供たちの登校見守りのために、朝街頭に立ちました。天気予報では、今日は曇りのち晴れで降水確率20%となっていました。しかし、夜間に随分降っていたので、もう降らないだろうと、いつものように運動靴で子供たちが来るのを待っていると、突然激しい雨が降り出しました。そこで急いで帰って来て、教会の玄関にある雨傘を取り、玄関のヒサシの下でしばらく様子を見ていましたが、全然止みそうにありません。
雨が激しくなり道路に水が流れ始めると、長靴に履き替えなければなりません。しかし、長靴自体めったに履くことがないし、玄関にあると邪魔になるので、奥に仕舞い込んであるので今更取ってくるのは大変です。
そこで、もう20%は降ったと信じることにして、そのままで止むのを待っていました。その時、女子中学生の二人が激しい雨の中を走ってきました。ここだったら学校まで濡れて走るより、家に帰って傘を取ってきた方が、まだ近いし濡れないで済むのにと思いましたが、彼女たちも天気予報を信頼して、すぐ止むと踏んで走っているのだと思いました。
そういえば、随分前の事ですが空は曇り空で、午後からは雨の予報でした。そこで、小学生の子供たちの多くは傘を持って歩いてきていましたが、雨はまだ降っていませんでした。そこに、5年生の男の子が、傘を持たないで歩いてきました。私が「傘、持ってないの?貸してあげようか?」と言うと「いい、いらない」と言うので、私が「だって天気予報では今日の午後の降水確率80%だよ。」と言うと、「僕は、後の20%にかける」と言って、登校して行きました。結局学校帰りはずぶ濡れで帰ったみたいです。
天気を予想するのは古今東西、常にあったようです。今は、下駄を履いて歩く子はほとんどいませんが、私が小さい頃は下駄をけって、それが上を向いて止まったら晴れ、反対に下駄の歯の方を上にしたら、雨と言いながら、よく下駄をけって遊んでいました。
さて、今から2000年前も、明日の天気を予想していたようです。パリサイ人やサドカイ人がイエス様を試そうとして、「あなたが本当に救い主かどうか、天からのしるしを見せて下さい。」と言った時のことが書かれています。
イエスはお答えになった。「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。」マタイ16:2~3 新共同訳
イエス様はこの時、あなた方は明日の天気を見分けることは知っているのに、なぜ天国のいのちを与える救い主を見分けることができないのかと言われたのです。

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